世界 恐慌。 世界恐慌/大恐慌

【これは「第二次世界恐慌」だ!〜評論家・中野剛志氏が緊急寄稿~】

世界 恐慌

世界恐慌とは? (ニューヨークの銀行に集まった群衆 出典:) 世界恐慌とは、 1929年10月24日に発生したニューヨーク株式市場の株価大暴落に始まる世界規模の大不況のことです。 影響はアメリカ国内だけでなく、西ヨーロッパ各国や日本にまで及びました。 アメリカは ニューディール政策を採用し、政府が積極的に経済に介入することで、不況を乗り切ろうとしました。 その一方で、ヨーロッパ各国は植民地支配を強化し、 ブロック経済を進めるようになりました。 これが第二次世界大戦の火種となります。 日本ではこれ以前から金融恐慌が発生していましたが、満州事変による軍需景気のため、いち早く恐慌から抜け出しました。 第一次世界大戦後、アメリカの資本が西ヨーロッパや中南米に大量に投資されたことで、株価や地価が実態からかけ離れて値上がりしていました。 また、アメリカ国内でも、自動車、家電、建築、農業などの成長産業への投資が盛んに行われた結果、 生産過剰の状態に陥っていました。 これはいわゆる 「バブル経済」と言われるものです。 しかし、このような状況は、表面的には経済が発展しているように見えたため、特に対策が行われることはありませんでした。 また、農業、綿紡績業、皮革業、石炭業、造船業などの不況産業もありました。 1920年代の時点ですでに アメリカの産業は構造的な問題を抱えていたのです。 1920年代には第一次世界大戦の痛手から立ち直れない西ヨーロッパに対して、アメリカは西ヨーロッパの復興のために大量の投資を行いました。 その結果、アメリカは他国に貸すお金が増え、他国から借りるお金を大きく上回ったため、 債務国から世界最大の債権国になりました。 逆に、第一次世界大戦に負けたドイツは、資本輸出国から資本輸入国に転じ、多額の借金を抱えてしまいます。 フランスも長期でお金を貸す余力がなくなり、短期中心の資本輸出国になりました。 また、第一次世界大戦に対するドイツの賠償金の支払いは、自国だけですぐに支払う余裕がなかったため、アメリカから借りたお金を使いました。 イギリスやフランスはこうして支払われた賠償金で、戦争中にアメリカから借りていたお金を返済しました。 こうしてアメリカがドイツに貸したお金がイギリスやフランスを介して戻ってくるという循環構造ができあがりました。 これによって、1920年代のアメリカの好景気は維持されました。 この日が木曜日であったため、のちに 「暗黒の木曜日」と呼ばれるようになります。 この株価大暴落が起こったのは、アメリカの資本が過剰投資されていたことが表面化し、投資家が次々と株式を売り払ったことにより、 バブルが崩壊したためです。 1920年代に続けられた過剰投資は国内外の広い範囲に及んでいたので、株価の暴落による不況は世界中に連鎖し、アメリカ国内でもさまざまな産業に波及しました。 これに1929年の世界恐慌が重なったことで、不況は深刻化します。 この二つの恐慌は合わせて 「昭和恐慌」とも呼ばれます。 1927年の金融恐慌の原因は、関東大震災後に乱発された 震災手形の処理が進んでいないことが表面化したことにありました。 特に、 台湾銀行が大手商事会社の 鈴木商店に対して3億5000万円もの不良債権をもっていることが明らかになったことで、銀行経営に対する不安が急速に広がり、銀行での取り付け騒ぎに発展しました。 これによるパニックが2カ月間続きましたが、政府が 支払い猶予(モラトリアム)と日本銀行による特別救済措置を行ったため、パニックは沈静化しました。 ところが、1929年に世界恐慌が起こると、日本もこれに巻き込まれてしまいます。 ちょうど日本は 金本位制度に復帰するために極端な デフレ政策を取っていたため、日本経済は深刻な不況に見舞われました。 皮肉なことに、この満州事変による軍需景気によって、日本は恐慌から抜け出すことになります。 それ以降の日本は戦時体制に移行していきました。 世界恐慌の各国への影響 次に、欧米各国への影響とそれに対する対応を見ていきます。 これによって失業者が激増し、失業率も跳ね上がりました。 また、銀行への信用も低下し、ニューヨークの大手銀行バンク・オブ・USが倒産すると、事態はいっそう深刻になりました。 当時のアメリカ大統領 フーバーは、最初は楽観的な見方をしていて政府の経済介入には消極的でした。 (ハーバート・フーヴァー 出典:) けれども、景気が悪化すると復興金融公社設立や失業救済事業など積極的な政策に着手します。 また、アメリカからお金を借りていた西ヨーロッパ各国に対しては、1年間の支払い猶予をうたったフーバー・モラトリアムを宣言します。 ところが、こうした政策でも恐慌が収まらなかったため、1932年の選挙でフーバーは敗北し、 フランクリン・ルーズヴェルト大統領が誕生します。 (フランクリン・ルーズヴェルト 出典:Wikipedia) ルーズヴェルト大統領は1933年から ニューディール政策と呼ばれる一連の経済政策を行います。 この政策では、国内経済の再建を最優先課題として、政府が積極的に経済介入する方針が採用されていました。 具体的には、 金本位制の廃止、 管理通貨制度の導入、銀行の救済のほか、全国産業復興法、農業調整法、 労働者保護を定めたワグナー法、社会保障法などの制定を行いました。 また、公共事業の一環としてテネシー川流域を開発する公社TVAを設立しました。 このような政策の背景には、イギリスの経済学者 ケインズの思想がありました。 ケインズは不況と失業の原因を解明し、政府が積極的に経済介入する根拠となる修正資本主義という考え方を提唱していました。 ニューディール政策はある程度成果を上げましたが、1937年になると再び景気が悪化しました。 (政策により一時的に活気づいたニューヨーク 出典:Wikipedia) これ以降は、第二次世界大戦に向けて戦時体制に移行していきます。 アメリカと同様に、西ヨーロッパでも企業の倒産や工場の閉鎖、失業者の増加が起こりました。 そうした中で、アメリカをはじめとする多くの国が、関税を引き上げ、輸入制限をかけ始めます。 このような対策をとった国は、1931年内には約60カ国に及びました。 イギリスやフランスなど西ヨーロッパの国々は、これに対応するためにそれぞれ保護国や植民地との間で排他的な経済圏を作ります。 これが ブロック経済と呼ばれるものです。 自国の経済圏の外からの輸入に対して高い関税をかけることで、自国の産業を守ることを目指しました。 このようなブロック経済は、1932年のオタワ協定によって、イギリスがカナダ、オーストラリアとスターリング・ブロック(ポンド・ブロック)という経済圏を打ち立てたことから始まりました。 イギリスの他にも、フランスがフラン・ブロック、ドイツがマルク・ブロックを打ち立てました。 なお、スターリング・ブロックには イギリス連邦特恵制度が適用されました。 これはイギリスがカナダやオーストラリアから原材料や食料などを輸入するときには低関税または無税として、逆にカナダやオーストラリアがイギリスから工業製品を輸入するときに低関税にする、というイギリスにとって非常に都合が良いものでした。 まとめ.

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世界大恐慌における日本の政策とは

世界 恐慌

1929年にで始まり、1933年にかけて世界に広がった経済不況()のこと。 発端はアメリカ合衆国のにあるニューヨーク株式取引所で 1929年10月24日(後に「」といわれた)に株式が大暴落したこと。 1930年代に入っても景気は回復せず、企業倒産、銀行の閉鎖、経済不況が一挙に深刻になって、1300万人(4人に1人)の失業者がでた。 恐慌はおよそ1936年頃まで続いた。 またこの恐慌が世界に波及し、ヨーロッパ各国から日本などアジア諸国にも影響を受け、資本主義各国は恐慌からの脱出策を模索する中で対立を深め、第二次世界大戦がもたらされることとなった。 企業に投資していた銀行に対し、預金者は一斉に預金を引き出しに殺到し、支えきれなくなった銀行が倒産。 融資のストップした企業は倒産し、工場は閉鎖され、労働者は解雇されて失業者があふれた。 有効需要はますます低下し、さらに不況が続くという悪循環に陥った。 当時のアメリカ共和党は不況は周期的なもので、景気はまもなく回復すると考え、また「自由放任主義」、つまり市場原理に任せておけばいいという従来の共和党の基本方針を守ったため対応が遅れることとなった。 アメリカの経済不況の要因と背景 アメリカの恐慌発生の要因と背景としては次のようなことが考えられる。 1920年代の戦後好況の中で資本・設備へのが行われ「」に陥った。 農産物も過剰生産のために価格の下落するが起こり、農家収入が激減、国内の有効需要が低下した。 各国とも自国産業の保護のため、高関税政策()に転換したので、世界市場の拡大も阻止されていた。 同時にアジアの民族資本の成長、ソ連社会主義圏の成立などで、アメリカの市場が縮小していた。 企業が生産を減少させたため、さらにそのため購買力は減退し、さらなる生産減少をもたらすという悪循環に陥った。 世界恐慌の波及 アメリカ発の株式暴落が世界恐慌に拡大した理由は、アメリカ合衆国が第一次世界大戦後、世界最大の債権国となっており、世界経済がアメリカ経済に依存する体質になってしまっていたためであり、アメリカの経済が破綻したことが必然的に世界経済の破綻へとつながってしまった。 恐慌は、まず西半球のアメリカ勢力圏からアジアの植民地・従属国に広がり、さらにヨーロッパの工業国へと波及した。 全資本主義国の全経済部門に及び、1929年から32年までに世界の工業生産は半減し、32年末には全世界の失業者は5000万人を越えたと推定されている。 とくに恐慌が深刻になったのはドイツであった。 1931年5月、オーストリアの銀行クレディット=アンシュタルトが破産し、それを機に中欧諸国の金融恐慌が発生し、ドイツにあった金は国外流出を続け、財政は巨額の赤字となった。 特に多額の賠償金と負債を抱えていたドイツはアメリカの支援で経済が成り立っていた()ので、ドイツ経済も破綻、そのドイツから賠償金を取り立てていたイギリス・フランスの経済も破綻した。 ドイツでは3人に1人が失業、同年6月にはブリューニング首相は賠償支払いが困難であることを声明した。 世界恐慌に対する当初の対策 アメリカ合衆国は1930年6月、を成立させ、農産物だけではなく工業製品でも関税引き上げを実施した。 各国も自国産業を守るために、に転換したため、世界的な貿易不振が起き、かえって恐慌を長期化させることとなった。 またドイツの窮状を救うため、は1931年6月に(支払猶予令)、を発表し、戦債・賠償金支払いを1年停止することにしたが、タイミングが遅すぎて効果はなかった。 ドイツはモラトリアムの満期の前に賠償支払い不能を宣言、急遽ローザンヌで国際賠償問題会議が開催され、ドイツの賠償支払いをヤング案の約12分の1に当たる30億マルクまで減額し、は事実上、棚上げとされた。 イギリス・フランスは同時にアメリカに対する戦債も帳消しにすることを前提としようとしたが、アメリカは会議に出席せず、それを認めなかった。 結局ドイツにヒトラー政権が成立して。 対米戦債は曖昧なまま終わった。 世界恐慌の及ばなかったところ このように、資本主義は市場原理に任せたままだと常にこのような矛盾が起こる。 そこで、資本主義経済を否定して国家による計画経済によって恐慌が起きないようにしようというのが社会主義の考えである。 事実、世界恐慌が起こった時にすでに社会主義体制をとっていたはその影響を受けず、を推進した。 しかし、同時にが形成され社会主義も根底から変質した。 生産過剰 1920年代ので資本主義の矛盾が強まって起こった経済現象で、1929年に始まるの主要な原因と考えられる。 アメリカは第一次世界大戦で高まった需要に対し、設備投資を続けた。 自動車、住宅などからラジオ、洗濯機、冷蔵庫といった電機製品、さらに化粧品などの新たな消費財が大量に生産され、セールスマンと大量広告という新たな販売促進法と月賦販売という信用販売が使われるようになったことで大量消費(必要以上に消費する傾向)に拍車がかかった。 1920年代後半には早くも商品は飽和状態となり、農業不況も加わって購買力も低下し始めた。 しかし、企業は株式ブームという過剰な投機によって支えられ、さらに増産を続けた。 このように1920年代のアメリカ経済の繁栄を支えていたのは、信用販売と株式による資金調達という、いずれも需給関係の実態から離れた手法によるものであった。 その点では、2007年に始まる現代の恐慌が、金融工学から生まれたサブプライムローンなどの金融商品の破綻から始まったことに共通している。 過剰な投機 1920年代のアメリカ経済の好況の中で進んだ株式投資ブームの加熱などの状況。 1929年、その反動として起こった株価暴落が、の引き金となった。 第一次世界大戦後、世界の金はアメリカ合衆国とフランスに流れこんできた。 特にアメリカでは流入する金と、イギリス・フランスからの戦債の返済によって潤沢な資金を抱えることとなった。 銀行はあまった資金を株式仲買人に貸し付け、仲買人はあらゆる人びとに株を買うことを勧め、株式投資ブームが起こり、1929年春から夏にかけての「大強気」相場がピークに達した。 しかし、購買力の低下と過剰生産のギャップも一般人に知られることなく激しくなっていた。 投機的な売買でつり上がった株価と、企業の経営実態は、人知れずかけ離れてしまっていた。 ようやくそのことに気がつき始めた一部投資家が株の投げ売りを始めていた。 株価はやがて「大天井」をうち、1929年10月24日の「暗黒の木曜日」に、一気に猛烈な売りが殺到し、世界恐慌が始まった。 株式ブームの実態はつぎのようなことであった。 引用 「コロンブスもワシントンもフランクリンもエジソンもみな投機家だった。 」ということばで人びとは投機の危険性を忘れ、「誰もが金持ちになるべきだ」という題名の文章でジョン=ラスコブは、人が一ヶ月にほんの15ドルを節約してこれを優良株に投資しすれば、配当金などを別としても、20年後には少なくとも8万ドルの金を手にすることができ、この投資から受ける収入は少なくとも月額四百ドルになる、と説いた。 また会社どうしが株を持ち合い、実際の株の価値については誰もわからなくなった。 投資信託も急増し(なかには詐欺まがいのものあった)、セールスマンが株を売りまくった。 その投資会社の株も高値で売られ、資本の巨大なピラミッドが出来上がった。 人びとは仲買人の言うことを信じるほかなかった。 「雑貨屋、電車の運転手、配管工、お針子、もぐり酒場の給仕までが相場をやった。 反逆しているはずの知識人さえも、市場にいた。 」 <F.L.アレン/藤久ミネ『オンリー・イエスタディ』1932 ちくま文庫 p. 406-415> 農業不況 特にアメリカ国内の購買力を低下させ、1929年のの背景となった。 第一次世界大戦時に食糧需要が高まり、価格も上昇したため、世界的な穀物増産が行われた。 小麦はアメリカ合衆国をはじめ、アメリカの資本が投下されてアルゼンチン、カナダ、オーストラリアなどで作付け面積が増加・機械化が進んだため、生産が増大し、戦後もその傾向が続いた。 戦後はフランス・ドイツなどヨーロッパ諸国が農産物の自給化にはかって農産物に高関税をかけるようになった。 小麦以外の砂糖、綿花、ゴム、コーヒーなども生産量が著しく増え、1924年頃から供給過多による農産物価格の下落が始まった。 とりわけ農産物輸出国の国際収支を悪化させることとなった。 <秋元英一『世界大恐慌』1999 講談社学術文庫 p. 57-59> アメリカの農民は、大戦中に借金をして耕地を拡大し、機械を購入していたため、農産物価格の影響をもろに受け耕地を手放さなければならない農民も多くなった。 農業不況は長期化し、さらに1929年秋は豊作であったため、いわゆる「豊作貧乏」が重なり、農民の購買力が著しく低下し、世界恐慌の一因となった。 <林敏彦『大恐慌のアメリカ』1988 岩波新書 p. 70-73> 失業者の増大 1929年のから1933年のまでを三期に分けて、その時期の特徴をまとめると次のようになる。 第1期(1929年10月~30年9月) 1929年の失業者数は155万(労働人口全体の3.2%)だったのが、30年には434万人(8.7%)に増加。 しかしまだ失業の深刻さは認識されず、人びとは「いつ好況に戻るか」を期待した。 の高関税によって国内市場は回復すると期待され、州政府による公共事業やハイウェイ建設も行われた。 ニューヨークのエンパイア・ステート・ビル(摩天楼)も30年に建設が始まり、31年に完成した。 第2期(1930年10月~31年12月) 30年の冬から失業者が一気に増加した。 31年には802万人(15.9%)となる。 各自治体や都市は自衛的な失業者向けの給食や宿泊施設提供した。 また恐慌の影響を受けなかったソ連の計画経済への関心が高まった。 31年6月のはヨーロッパ経済の救済となると期待されたが、現実はドイツの金融恐慌に始まり、イギリスが金本位制を離脱して不安が強まった。 第3期(1932年1月~33年3月) 失業者は1200万(24%)に達し、このころから失業者のことを恐慌当初のように「仕事のない人」 the idle ではなく、「失業者」 unemployed と呼ぶようになった。 大統領も失業対策に乗り出したが、仕事の確保は民間企業の責務だと考えられたので本格的にはならず、失業者数は 33年に1283万人(24.9%)の最高水準に達した。 <秋元英一『世界大恐慌』1999 講談社学術文庫 p. 87-91> Episode 「フーヴァー村」と失業者の反乱 フーバー村と言われたアメリカの貧民街 引用 すべてを失った人びとが都市の公園や空き地に木切れや段ボールでつくったバラック小屋の集落は「フーヴァー村」、新聞紙は「フーヴァー毛布」、引っぱり出された空っぽのズボンのポケットは「フーヴァーの旗」と呼ばれるようになった。 」1932年3月7日にはデトロイトで共産党に先導された3000人がフォード社工場に抗議に詰めかけた。 市の警察隊はデモ隊にむかって催涙ガス弾を発射、デモ隊は石や凍土片を投げて抵抗した。 警官隊は実弾射撃を加え、デモ隊の4人が殺され、50人が重傷を負うという事件が起こった。 1932年7月には、ボーナス要求のためワシントンに集まった退役軍人のキャンプを軍隊を動員して焼き払った(マッカーサー将軍が指揮を執った)。 <林敏彦『大恐慌のアメリカ』1988 岩波新書 p. 102-106> ブロック経済への転換 各国はそれぞれ、自国の生き残りのための経済を立て直しに走ることとなった。 ではが、1931年のに踏み切ると、33年にはに同調し、 世界金本位制は崩壊した。 またイギリスがオタワでイギリス連邦内の自治領との特恵関税を設けて他地域に対する保護関税政策に踏み切るとともに、を構築すると、フランスのフラン経済圏、アメリカのドル経済圏など資本主義列強は通貨ごとの政策を採用することとなった。 しかし、各国がブロック経済によってに転じたため、世界全体の自由貿易が衰退して貿易額が減少し、世界全体の不況にさらに加速させることとなった。 資本主義諸国は危機感を抱き、1933年6月、が主催してを開催し、67カ国が集まり、世界恐慌からの国際的な対応を協議する努力を行った。 しかし、この会議では、アメリカのローズヴェルト大統領は世界経済全体に責任を持つことを怠り、賠償問題についての議論が避けられ、また通貨の安定などにも各国の利害が対立したため、結局まとまらず、戦争による解決へと向かうことになってしまった。 アメリカのニュー=ディール政策 1933年に登場したアメリカ合衆国の大統領のは農産物の過剰供給を抑え、工業生産の国家管理を強め、大幅な財政出動で公共事業を興して雇用を創出し、国内購買力の回復を図った。 また、そのためには労働者の保護や社会保障の充実などにも取り組み、銀行を厳しく監視するなど資本主義の枠内での大胆な改革を実施した。 そのような資本主義の原則を守りながら、自由放任ではなく政府が経済を強力にコントロールする必要があるという考えを理論化したのがイギリスの経済学者であった。 彼は有効需要を増加させることによって過剰生産を解消するなどをめざし国家の財政政策によって公共事業を興して雇用を創出したり、低金利によって貯蓄を消費に回すことによって購買力をつけることなどを唱えた。 アメリカは国内資源が豊かだったこともあって、次第に経済危機を克服し、第二次世界大戦を迎えることとなる。 ファシズムの台頭 世界恐慌の影響を最も強く受けたのがであった。 また植民地が少なく、国内資源も少ないイタリアも経済が破綻した。 アジアでは日本はすでに大陸進出を果たしていたが、国内には地主制度など古い社会構造が残り、農村不況が慢性化し、低い購買力にとどまっていたため、資源と市場を海外に求める経済界と軍の思惑が強まっていた。 このような「持たざる国」であるドイツ・イタリア・日本にが台頭する直接的な契機も世界恐慌にあった。 特に、ドイツは第一次世界大戦の莫大な賠償金をフランスなどに支払わなければならず、1924年ので軽減されたものの、アメリカ合衆国の資金援助で経済復興を図るという図式になっていたため、アメリカ発の世界恐慌の影響を最初に受けざるを得なかった。 1931年6月のはドイツ経済の悪化を立ち直らすことが出来ず、1933年には失業者は600万に増大した。 そのような危機が高まる中で、同年1月が首相に任命され、独裁政治を開始する。 同じ年3月には、一方のアメリカでF=ローズヴェルトが大統領となり、ニューディール政策開始される。 第二次世界大戦への道 広大な国土・植民地を所有し、原料と市場を確保することのできる「 持てる国」であったイギリス・フランス・アメリカがを構築して、排他的になると、後発の帝国主義国家であったドイツ・イタリア・日本は「 持たざる国」として振る舞うことに口実を与え、この三国はそれぞれ、「生存圏」の拡張を掲げて、ドイツは東ヨーロッパに領土を拡張しようとし、イタリアは北アフリカのエチオピアやバルカンのアルバニアへの進出、日本は満州から中国本土への進出を1930年代から展開していった。 このような新たな帝国主義による世界分割競争は世界恐慌を機に一気に強まり、ヴェルサイユ体制とワシントン体制、あるいはロカルノ体制と言った地域安全保障の枠を崩壊させ、国際連盟の集団安全保障も機能しなくなり、へとつながっていった。 戦争景気と失業問題の解決 ニューディール政策は何よりも失業率を低くし、完全雇用を目指しした。 ニューディール開始後、1937年までに770万(14.3%)まで回復したが、不況はなかなか解消されず、失業者もそれ以上減ることはなかった。 アメリカの失業問題が解消されるのは、第二次世界大戦中の1941年3月にが成立して武器を連合国に貸与することが可能になって軍需産業が活気づき、さらに同年12月、日本軍のによってしたことで、アメリカはまさに「民主主義国の兵器廠」として武器・軍需品を増産して輸出したこで戦争景気に突入、 失業率も一気に1%台に低下して完全雇用を実現してしまった。 アメリカは先進国の中で唯一、国内産業が直接戦火を浴びることがなく、戦後もその生産力を維持した。 戦争景気によってもたらされたアメリカの富は、第二次世界大戦後のアメリカが世界経済を支えることを可能にした。 第二次世界大戦後の恐慌対策 第二次世界大戦後も好景気と不景気の波や、幾度かの経済危機はあったが、基本的には「世界恐慌」を避けることができている。 それは、戦前の各国バラバラの経済政策が激しい競争を生み出したことを反省し、国際連合のもとで、国際経済体制の安定を図るための国際通貨制度として、というや、関税と貿易に関する一般協定=による自由貿易の推進などが機能したことによる。 その中核となったのがアメリカ経済であり、ドルを基軸とする固定為替相場制のもとで安定した戦後経済の復興が進んだ。 また、資本主義諸国でも市場原理だけにまかせず、政府が経済をコントロールする社会主義的な原理を取り入れた混合経済体制をとったことも安定の要因であった。 2008年の新たな経済危機 ところがこのような世界経済体制も1970年代から大きく変化し、アメリカ経済の落ち込み、日本経済の台頭、新興経済地域の台頭、EUなど地域経済統合の進展とならんで、市場経済万能主義()の復活といった傾向がでている。 特にアメリカ合衆国のの下で規制緩和政策が推進され、金融工学と称するさまざまな投機マネーによる利益追求が加速して、から、2008年9月には金融大手のリーマンブラザースの破綻して リーマン=ショックが起こり、ふたたび世界恐慌が起こりかねない危機にあることがあきらかになった。

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世界恐慌(ワースト)と株価暴落(ベター)シナリオで投資を考えてみる!

世界 恐慌

コロナ恐慌はどうなるのか?~世界大恐慌を上回るか 新型コロナウイルスの感染拡大により、 今や経済的な打撃が大きくなっています。 「コロナ恐慌(武漢大恐慌)」は現実味も帯びてきています。 というのも 世界32ケ国でロックダウンも行われ、 35億人が行動自粛となったともいわれています。 世界各国で経済活動が停止し、物資の支給にも影響が出てきます。 サプライチェーン(物流)も止まったところもあります。 また株価も下落していて、この先もさらに下がることも考えられます。 現に売上は航空・デパートなどでは軒並みダウンです。 ・ハナツアー・・・売上が12億円から2300万円。 売上98%減少。 ・JR・・・4月前半の新幹線の利用者は85%減少。 ・リクルート・・・4500億円の融資を要請。 広告が激減(広告も出せない)。 金利ゼロでの販売。 それでかろうじて売上は半分。 またリストラも予定されています。 ・三菱自動車・・・6500人リストラ ・UFJ・・・8000人リストラ ・ANA・・・5000人リストラ ・アメリカでは3000万人の失業 こうした状況ですので コロナ恐慌は1929年の世界大恐慌を上回る という見方が大方の予想です。 では、世界大恐慌時は、一体、どうだったのでしょうか。 世界恐慌はどうだったのか? 世界大恐慌は、今から約90年前の 1929年、 ウォール街大暴落をきっかけに 全世界に広がりました。 社会的に大パニックです。 アメリカのGDPは40%下落。 つまりアメリカ国民の所得が40%ダウン。 年収300万円の人が180万円になる計算。 手取り月30万円の人が18万円になる計算。 株価もダウン。 90%ダウン。 株価の下落もすさまじかった。 失業率も増加。 アメリカでは25%が失業。 自殺者も増加。 犯罪も増加。 失業率と自殺率・犯罪率とは相関関係があります。 大恐慌は、悲惨だったわけです。 リーマンショックはどうだったのか? 最近の経済ショックとして有名なのは 「リーマンショック」。 リーマンショックも影響の大きかった。 しかしリーマンショックは恐慌ではない。 金融危機。 が、金融危機であっても、リーマンショックの影響は大きかった。 製造業は大ダメージ。 失業者も増大。 失業率は5%。 しかし失業者はサービス業に転職することで事なきを得ています。 が、リーマンショックによって人々はパニックに。 リストラも横行。 就職氷河期。 売上ダウン。 コロナ恐慌はどうなるか? では今回のコロナ恐慌はどうなるのでしょうか? 既に起きていることを踏まえると ・消費の冷え込み ・企業倒産増加 ・外出の自粛により経済活動の停滞 ・各産業にダメージ ・航空業界は政府支援が必要 ・失業率増加・・・30% ・欧州経済危機・・・中でもイタリアが危ない といった状態です。 現在の状況から察しても、1929年の世界大恐慌を上回りそうです。 じわじわと来ている印象です。 三橋貴明氏によるコロナ恐慌の予測 【総集編】三橋貴明「政府よ本気で言ってるのか?国民が死ぬぞ!」 経済評論家の三橋貴明さんは、2020年4月8日時点において、 コロナ恐慌を次のように予測しています。 新型コロナウイルスは世界恐慌を招く 新型コロナウイルスによる経済的な打撃は大きい。 サービス業が打撃。 売上は8割減ったところもある。 世界各国では ロックダウン。 イタリアなどでは外国では外出禁止。 コロナは恐慌を招く。 確実に経済が悪化してきている。 失業者が激増。 アメリカも 大規模経済対策を打たざるを得ない。 大規模な経済対策は、南米、オーストラリア、アフリカといったように 世界中に広まる。 今回は サービス業から打撃を受けている。 製造業も輸出が減っている。 設備投資も激減。 サプライチーェンが断ち切られている。 モノが入ってこない。 中国は世界の工場となっていたので、物資が途絶えている。 金融も株価が暴落。 コロナの影響は全産業に及んでいる。 これはまさに「恐慌」。 リーマンショックのときは、製造業ダメになった。 しかしサービス業が失業者を吸収した。 ちなみに世界大恐慌では、アメリカのGDPは4割消えた。 みんなが稼ぐ所得が4割減った。 リーマンのときは、これほどではなかった。 消費税ゼロ・国民への現金給付・企業の粗利補償は欠かせない コロナの影響は甚大。 だから消費税ゼロという長期の政策を行う必要がある。 短期の寄付金(補償)もやるべき。 自民党の安藤裕議員が有志と共に提言を出している。 1.粗利補償 2.現金給付 3.消費税ゼロ の3つは欠かせない。 財務省の力が強いため内閣官房も国会議員も恐れている しかし財務省の力が強い。 財務省は、各党の執行部を掌握している。 国会議員の中心部は、財務省の言いなりになっている。 財務省は財政規律・緊縮財政を死守する。 国民の利益のことを考えていない。 ちなみに官僚の人事権は内閣官房が持っている。 組織の構造上は、内閣官房は財務省を押さえることができる。 しかし財務省の力のほうが圧倒的に強いため、 内閣官房は抑えきることができない。 コロナ感染よりも経済的理由で亡くなる人が多くなる このままでは、コロナウイルスの感染で亡くなるよりも、 経済的な理由で亡くなる人のほうが、数倍、数十倍、数千倍多くなる。 大規模イベント中止。 全国一律に小中高を休校。 国民と企業の活動を自粛しているが、 経済政策も一緒にして、パッケージしないとならない。 補償があってこそ、安心して自粛することもできる。 当たり前のこと。 しかしこれができていない。 安倍首相は、全体のことを全く考えないで、 とにかく「コロナで一人でも死んじゃったら自分の責任が云々」 という非常に狭い視点で、目先の政策を行ってしまった可能性。 このままでは、財務省の財政規律・緊縮財政の縛りのため、 国民は苦しめられる。 せいぜい ・ショボイ定額給付金 ・ポイント還元の延長 くらいで終わってしまうのではないか。 消費税をゼロは欠かせない 消費税の廃止が必要。 でないと恐慌に突っ込む。 東京五輪で7兆円が飛ぶ。 恐慌で20兆円30兆円が飛ぶ。 恐慌が怖いのは、どこまでも落ちてゆくこと。 いったん落ち始めたら、とことん落ちてゆく。 このままではGDP10%~15%減っていくのが濃厚。 この最中に総選挙の可能性もある。 しかし消費税ゼロを掲げる政治家が多くなるはず。 野党も与党も消費税ゼロを掲げる。 消費税ゼロにしなければ、 国内の自殺者は5万人を超えるかもしれない。 ユーロ圏では独裁政治と強権政治が台頭する恐れがある ヨーロッパでは日本以上に酷くなってきている。 ヨーロッパは、欧州連合で緊縮財政を敷いている。 ユーロなので、各国には通貨発行権がない。 このままでは、感染者が多くなり、自殺者も多くなる。 経済の落ち込みは日本以上になる。 懸念するのは、独裁政権が出てくること。 国民の不安をくみ取り、国民の不満を黙らせる。 過去のナチスの台頭が、まさに同じ状況。 当時も世界恐慌が起きて、ドイツでは40%近い失業率と経済的落ち込み。 この中でナチスが出てきた。 今回はもっと強烈なのが来るかもしれない。 ナチス以上の、巧妙な独裁。 強権政治が台頭する恐れがある。 まず国民が正しい貨幣観を持つこと 今の政府の政策が「おかしい」「異常」なことは誰でもわかる。 だから緊縮財政とプライマリーバランスへの転換は起きる。 しかしここに至るまで、どれくらい悲惨になるのかわからない。 何人死ぬのか。 だから国民が、財政破綻論が間違っていることを認識する必要がある。 そうして正しい貨幣観や財政を語る人を、国会議員として当選させないとダメ。 そうしなければ大変なことになる。 正しい貨幣観を持った政治家は、今のところ ・れいわ新撰組の山本太郎さん ・国民民主党の玉木雄一郎さん くらいしかいないでしょう。 あと 正しい貨幣観は、 MMT(現代貨幣理論)でわかります。 MMTポリティクス〜現代貨幣理論と日本経済 MMT 現代貨幣理論)の入門書としては、 こちらがわかりやすくなっています。 今は大事な時です。 国民の一人一人が、正しい貨幣観を持って、 正しい財政政策とは何かを理解する必要があります。

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