テレ 東京 音楽 祭。 『東京春祭オンデマンド』の配信が6/5(金)よりスタート 13公演を期間限定で無料配信

『東京春祭オンデマンド』の配信が6/5(金)よりスタート 13公演を期間限定で無料配信

テレ 東京 音楽 祭

本日6月26日放送の『テレ東音楽祭2019』で嵐がテレビ東京に初出演することが話題になっている。 また同番組で女優の広末涼子が生放送の音楽番組で初のMCを務めるのも同様に話題だ。 この番組は、5時間に及ぶ生放送。 近年、音楽番組にこれと同様の長時間特番が増えたという印象を持っている方もいらっしゃるのではないだろうか。 そしてそのなかで『テレ東音楽祭』は、テレビ東京ならではのユニークな存在感を発揮している。 以下では、今日の番組を楽しんでもらうためにも、具体的にどのあたりがユニークなのかをテレビ東京の歴史とも絡めながら探ってみたい。 音楽番組は大型特番化している テレビ全体が転換期を迎えるなかで、昨今は音楽番組も試行錯誤が続いている。 今年で70回目の節目を迎える『NHK紅白歌合戦』の視聴率も近年は40%前後。 いまのテレビとしては十分すぎるくらいだが、それでも80%台を記録することもあった昭和の全盛期(ちなみに番組史上最高視聴率は1963年の81. 4%(ビデオリサーチ調べ。 関東地区))から見れば大きく下がっている。 民放キー局でもその状況は基本的に変わらない。 現在、プライムタイムのレギュラー音楽番組はテレビ朝日系『ミュージックステーション』くらい。 これも各局に『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』など看板音楽番組がひしめいていた昭和からは様変わりした。 そのなかで新たな傾向として目立つのが、音楽番組の大型特番化だ。 老舗的なものとしてはフジテレビ『FNS歌謡祭』があるが、これは昭和期に全盛だった音楽賞番組が1991年に衣替えしたものである。 そして2010年代になると、TBSテレビ系『音楽の日』(2011年から)、フジテレビ系『FNSうたの夏まつり』(2012年から)、日本テレビ系『THE MUSIC DAY』(2013年から)、テレビ朝日系『ミュージックステーションウルトラFES』(2015年から)と、夏の大型音楽特番が続々と始まった。 そのなかには10時間以上に及ぶ生放送のケースもある。 その背景には、先述した音楽番組の苦戦傾向があるだろう。 大型音楽特番は、レギュラーではなくスペシャル、しかも長時間の生放送であることで自然に非日常的なお祭り感が醸し出される。 そこにまず視聴者の耳目を引きつけたい、ということだろう。 さらにお祭り感は、放送時間の長さだけでなく大型音楽特番ではおなじみとなっている多彩なコラボ企画やメドレー企画などによっても高められる。 あるアーティストが自分の代表曲を他のアーティストとその日限りのコラボをしたり、豪華なアーティストたちによって次々とヒット曲が歌い継がれたりする様子は、いやが上にもお祭り感を増幅させる。 『テレ東音楽祭』は初回からテレ東らしさ全開だった さて、そうしたなか『テレ東音楽祭』は夏の大型音楽特番のひとつとして2014年に始まった。 この年は2部構成。 第1部が演歌・歌謡曲系で、第2部がJ-POP・アイドル系の歌手の出演と分かれていたが、とりわけ国分太一がMCを務めた第2部がネットなどを中心にかなりの話題になった。 まずタイトルから「慣れない生放送 ドタバタですいませんSP」と、他局なら絶対なさそうなネーミング。 テレビ東京らしい自虐テイストである。 視聴者から見れば、そもそもあのテレ東が大型音楽特番をやって大丈夫なのか? というちょっとした心配があったに違いない。 しかしふたを開けてみると、その心配を逆手にとったかのような大胆で遊び心に満ちた企画・演出で、『テレ東音楽祭』は斬新でユニークな大型音楽特番という印象を視聴者に残すことになった。 いずれもいかにもテレビ東京らしい魅力的な「ユルさ」を感じさせる場面である。 出演歌手のスケジュールの都合で事前に歌を収録したVTRが流れることも、こうした大型音楽特番では珍しくない。 そんなとき他局だと生放送であることを強調したいあまり、なんの断りもなく進行することがある。 いわば体裁を繕うわけである。 ところが『テレ東音楽祭』は違った。 国分が「すばらしい事前収録でしたね」と包み隠さず言うと、もうひとりのMCだったテレ東アナ(当時)・大橋未歩がわざわざテープを見せてもう一本収録があることをにこやかに予告したのである。 それだけが理由ではないだろうが、こうした反響の多さもあって、翌2015年の第2回からは第2部の放送時間が拡大されるとともに独立するかたちとなり、現在の『テレ東音楽祭』の基本フォーマットが定まっていく。 『テレ東音楽祭』のユニークさのルーツ こうした『テレ東音楽祭』のユニークさは、テレビ東京というテレビ局の歴史に根差したものでもある。 テレビ東京(局名としては1981年10月から。 それ以前は「東京12チャンネル」だが、ここでは便宜上「テレビ東京」で統一する)は、1964年開局。 今年は開局55周年に当たる。 現在の在京民放キー局のなかでは、最後発である。 しかも民間企業ではなく財団法人が経営主体、かつ教育専門局としてスタートしたこともあり、視聴率は振るわず開局後まもなくテレビ東京は深刻な経営不振に陥った。 その後紆余曲折を経て日本経済新聞が経営参加して再建が進んでいくのだが、そうした経緯もあってネットワーク構築が進み始めたのも1980年代になってからだった。 そのなかでテレビ東京が活路を見出そうとしたジャンルのひとつが音楽番組だった。 たとえば、『題名のない音楽会』は、実は元々はテレビ東京の番組だった。 それが先述の経営不振で存続が難しくなり、テレビ朝日(当時はNET)に移ったのである。 クラシック音楽とポピュラー音楽をコラボさせるという番組コンセプトは、いま思えばアイデア勝負をモットーとするテレビ東京らしさそのものである。 またテレビ東京は、演歌をフィーチャーした番組にも早くから力を入れた。 いまや『紅白』と並んで年末恒例となった歌番組『年忘れにっぽんの歌』の原点は、1960年代にさかのぼる。 また1970年代に始まり、毎回曲の世界観を表現する手の込んだセットを作るなどきめの細かい演出で根強い支持を受けた長寿番組『演歌の花道』もあった。 これらの番組で培ったノウハウは、『テレ東音楽祭』でもクオリティの高いセットや照明、カメラワークに生きている。 演歌とは対極にあるアイドルの歌番組もテレビ東京が得意としてきたところだ。 その代表が1970年代に始まった『ヤンヤン歌うスタジオ』で、山口百恵やピンク・レディー、松田聖子のような女性アイドル、たのきんトリオのようなジャニーズ勢など多くのアイドルが毎週出演した。 アイドルしか出ない番組は当時まだ珍しく、歌の合間の楽屋トークでアイドルの素の部分を見せる演出も時代を先取りしていた。 また1990年代にはオーディション番組『ASAYAN』からモーニング娘。 が誕生し、国民的アイドルになった。 したがって『テレ東音楽祭』のアイドル企画は付け焼刃なものではない。 今回おそらく流れる嵐のJr. 時代の映像のように懐かし映像が豊富なだけでなく、企画やキャスティングのセンスにもアイドルファンのツボを心得たものがある。 さらに今回は、モーニング娘。 の元メンバーである加護亜依と辻希美のユニット・W(ダブルユー)が13年ぶりにテレビ出演する。 これもまたアイドルファンの琴線に触れるものだろう。 これからの大型音楽特番に求められるもの いまこうして民放各局に大型音楽特番が横並びになった状況になってくると、次はどのようにして他の番組との違いを出すかという段階になるに違いない。 たとえば、テレビにめったに出ないビッグアーティストの出演やプロジェクションマッピングのような最先端のテクノロジーを使った演出など、よりお金のかかった豪華さを追求する道もある。 だがそれには自ずと限界があるし、結局似たり寄ったりなものになってしまうリスクは少なからずある。 とすれば、もう一方で、テレビ局の個性を生かした企画・演出がこれからの大型音楽特番にとっていっそう重要になってくるはずだ。 テレビ東京がアイデア勝負を個性にしたのは、先述したように開局時からの経営面の苦境によってそうせざるを得なかったという面が少なからずあった。 しかしいまではその個性が逆にプラスに転じて、『テレ東音楽祭』を後発組でありながらキラリと光る大型音楽特番にしていると言えるのではなかろうか。 今年もまたどんなアイデアで楽しませてくれるのか、期待したい。

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テレ東音楽祭元KARAハラのヌーブラが見えた?脇に傷で豊胸手術の跡や目を整形?放送事故?【動画あり】

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ハラちゃん衣装ーーーー!!!!(叫びました) 歌いながらすぐに直されていましたが、バッチリ見えてしまいました。 生放送ならではのハプニングですね…。 ハラちゃんまさかの放送事故…衣装さーん、、ちゃんと考えてあげてください😭 まぁヌーブラは水着だと思えばそれまでだけど。。 1分ぐらいから衣装が下がってきてしまっています。 ハラちゃん〜 かわいい!!! Chuning Candy — アブノート AbnoteX テレ東音楽祭元KARAハラの脇に傷で豊胸手術の跡? 衣装が下がったタイミングで、ハラさんの脇下に貼られていた不自然な絆創膏も見えてしまいました。 「明らかに豊胸手術した跡だ…」と話題になっています。 衣装落ちてきちゃって可哀想だったけど、どう見ても何度見てもハラちゃんには見えない.. 登場した瞬間 「目が…」とつぶやいてしましました。 二重の線が以前よりだいぶ濃くなっています。 ハラちゃん目いじりすぎじゃない?!衣装下がっちゃうしハラハラしたわ ダジャレではない — さっちゃん ライザップ紹介します! 0nexsx ハラちゃん お目目が怖くなってる😭 前のままで充分可愛かったのに そして衣装が… — あーさん roe23kuro こちら以前のハラさんとの比較画像です。 やっぱり違う気がしちゃいます。 もちろんどちらも可愛いですけどね!! テレ東音楽祭元KARAハラのヌーブラが見えた?まとめ 久しぶりにハラさんの元気な姿を見れて嬉しかったんですが、やっぱり生放送怖いですね(涙) でもさすがのハラさん、臨機応変な対応でササっと衣装を直して乗り切っていました! パフォーマンスはもちろん圧巻だったので次に期待です!.

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テレ東音楽祭2019|タイムテーブル&セットリスト【6/26】|Lyfe8

テレ 東京 音楽 祭

歴史 [ ] 内に籍を置く 財団法人東京音楽祭協会が主催する国際音楽祭である。 1972年5月13日、がで行われ、通算第20回まで開催された。 TBS渡辺正文プロデューサーが「日本での国際的大規模な音楽祭開催の必要性」を考え、同調した大橋巨泉などの協力者を得て開催されたのが始まりである。 当時の司会は、、であった。 その後は隔年ごとにと日本武道館で開催され、1977年の第6回大会から武道館で開催されるようになった。 中継するTBSはとともに二大音楽イベントのひとつとして行われていた。 レコード大賞等の年末に開催されるの様に「その年の」に重点を置き評価するものではなく、あくまでも「楽曲」「歌唱」を評価ポイントとしている事が特徴である。 ヤマハ主催による「」とともに、日本で開催された二大国際音楽祭であり、特に「東京音楽祭」の存在は、世界的ヒットやアーティストを輩出し、はもちろんや、世界の音楽シーンを日本に持ち込み地位を高めた功績は非常に大きい。 この東京音楽祭を誕生させ、成功させた渡辺正文をモデルにが『』という小説を書いている。 指揮・音楽は第1回から第17回までが担当。 大会の模様は・の同時放送で、初期にはでもラジオ放送された。 1974年まで関西地方はで、1975年以降はで放送されていた。 1991年は開催が中止、そして、1992年のをもって開催終了となり20年の歴史に幕を降ろした。 大会方式 [ ] 毎年上半期(3月-6月)に初期には帝国劇場、第1回・4回と6回以降はで開催されていた。 海外から参加の楽曲は、数週間程度の公募期間があり、日本国内において財団法人東京音楽祭協会に在籍する審査委員会にて、厳正なるテープ審査が行われ参加曲が決まる。 (アメリカなどでは、雑誌で参加アーティストを募る公募広告も存在する。 これが功を奏したのが、東京音楽祭から世界的大ヒットとなったである) また連動した海外音楽祭の優勝者が参加権利を獲得する事例や、任意での音楽祭優勝者を優先する例も多々あり、マニラ音楽祭(フィリピン)、ホンコン音楽祭(香港)、ローズドール音楽祭(フランス)、フランス音楽祭(フランス)、マジョルカ音楽祭(スペイン)、ロサンゼルス音楽祭(アメリカ)、ソウル音楽祭(韓国)、(ヨーロッパ)などがこれにあたる。 これは東京音楽祭が、国際音楽祭連盟(FIDOF)に加入しているためである。 さらに、外国人歌手に日本の作曲や作詞による楽曲を提供し参加する事例も多く見られた。 「若者は帰らなかった」オリベラ・カタリーナ(ユーゴスラビア)、「ミドリ色の屋根」ルネ・シマール(カナダ)、「18,19,20」サイモン・アンド・ベッティーナ(西ドイツ)、「トシヒコ」ベッシー(ギリシャ)、「トーキョー・メロディ」シューディー(モザンビーク)、「唇を奪う前に」アニタ・ムイ(ホンコン)、「時の流れに」(アメリカ)、「ふたりの絵〜セラ」エマヌエル(メキシコ)、「恋はノータイム」ルージュ(西ドイツ)などが一例。 これらの海外参加アーティストと「国内大会」で選出された日本人の優秀アーティストが一堂に会し、楽曲を披露し、音楽祭協会の音楽家や海外著名人・世界的歌手や俳優女優などで組まれるゲスト審査員団に投票審査され、受賞に至るのが世界大会である。 審査中には、世界に広く知られた豪華大物アーティストによるステージが披露されるのも特長である。 国内大会 ゴールデンカナリー賞選出大会 [ ] 「国内大会」はやで開催されていた。 「世界大会」の2週間程前にその出場権をかけて開催される、日本人アーティストによる大会である。 授与される賞は以下の通り。 ゴールデンカナリー賞 活躍が顕著でその人気・実力が評価され、優秀であると認められたアーティストに贈られる。 「国内大会」での「グランプリ」としての位置づけがある。 通例3組程度のアーティストが受賞し、「世界大会」への出場権を得る。 なお、この賞を受賞したアーティストは、次年度の「国内大会」に連続して出場できないという規定があった(第5回大会以降)。 ゴールデンスター賞• ゴールデンアップル賞 その人気・スター性が認められたアーティストに贈られる。 「世界大会」への出場権はない。 特別賞 国内新人大会 シルバーカナリー賞選出大会 [ ] 上記の「国内大会」とは別に新人アーティストのみにより開催される大会である。 通例は「国内大会」の直前に開催され「東京音楽祭・シルバーカナリー賞」というタイトルでテレビ放送される場合もあった。 授与される賞は以下の通り。 シルバーカナリー賞 過去1年間にデビューした中で、最も優秀であると認められる日本人アーティストに贈られる。 日本レコード大賞でのと同じ位置づけである。 通例1組程度のアーティストが受賞し、「世界大会」への出場権を得る。 アジアデー Asian Day [ ] 1987年第16回から19回までの4大会 が開催された。 開催の経緯は16回・17回のコンテスト形式ではない、フェスティバル方式(選択アーティスト披露形式)において分類された• 「アジア・デー(アジアのアーティストによる歌謡ショー)」• 「ロック・デー(ロックミュージシャンによるコンサート)」• 「ミュージック・オブ・トゥデー(最優秀ニューアーティスト、最優秀女性歌手・最優秀男性歌手、最優秀ジャズフュージョン、最優秀ポップ、最優秀ダンスミュージック、最優秀リズムアンドブルースなど」と「ゲストアーティスト」 の構成で、アジアデーだけがその後引き継がれた形になった。 世界大会における欧米勢とアジア選出歌手の認知度の差なども少なからず影響していることと、アジアの音楽を詳細に紹介したい意向が重なったため、この形式になった。 従って、コンテスト形式でありながら実質アジア大会と言える20回大会以外は、賞による優劣を付けない配慮がなされた。 世界大会 International Contest [ ] 海外各国からのエントリー曲をテープ審査により選出。 その外国アーティストと、ゴールデンカナリー賞並びにシルバーカナリー賞を受賞した日本人アーティストによる、当音楽祭の本選となる大会である。 さらに世界的大物アーティストによるゲストショーがある。 授与される賞は以下の通り。 大賞(グランプリ) 最も優秀であると認められたアーティストに贈られる。 1組のアーティストが受賞する。 金賞 大賞の次に優秀であると認められたアーティストに贈られる。 1組のアーティストが受賞する。 銀賞 金賞の次に優秀であると認められたアーティストに贈られる。 2〜3組のアーティストが受賞する。 銅賞 銀賞の次に優秀であると認められたアーティストに贈られる。 2〜3組のアーティストが受賞する。 最優秀歌唱賞 最も歌唱力が優秀であると認められたアーティストに贈られる。 1組のアーティストが受賞する。 外国審査員団賞 外国人の審査員から最も優秀であると認められた日本人アーティストに贈られる。 1組のアーティストが受賞する。 アジア特別賞 最も優秀であると認められたアジア地域のアーティストに贈られる。 1組のアーティストが受賞する。 ゲストによる特別賞 ゲストによる特別枠の賞。 フランク・シナトラ賞、スティービー・ワンダー賞、アンディ・ウィリアムズ賞、フリオ・イグレシアス賞などがある。 1組のアーティストが受賞する。 チェリー・ブロッサム賞 上記受賞以外の数組のアーティストが受賞する。 TBS賞 上記受賞以外の数組のアーティストが受賞する。 フェスティバル賞 上記受賞以外の数組のアーティストが受賞する。 作詞賞 最も優秀な作詞家が受賞する。 作曲賞 最も優秀な作曲家が受賞する。 編曲賞 最も優秀な編曲家が受賞する。 」 山下久美子 () ---- ---- 森進一 () ---- ---- () 「Im Nin'alu」 () 「Hold On」 () 「パライソ」• 第3回大会は、セミファイナル、ファイナルの2段階選出方式が取られた。 第7回の渡辺真知子は、実際は音楽祭正式参加ではなく披露のみの出場。 新人枠のシルバーカナリー賞歌手は、世界大会には審査員の一致がなければエントリー歌手として認められなかった。 この法則が働いたのはこの回のみである。 第12回大会は、2組同時大賞受賞。 第16回、第17回大会は、コンテスト形式ではない披露方式のものとなった。 第20回大会は、アジアのアーティストで行われた。 第16回から第19回大会には、アジアのアーティストのみで開催されるアジア大会(アジアデー)が存在する。 エピソード [ ]• 審査員で来日していたフランスの歌姫は、同じくして審査員で毎回来日していたレコード会社で有名なスコッティブラザーズ社長と結婚。 東京音楽祭が出会わせた恋、と報じられた。 前夫とも同時審査員で来日。 テレビ放送の他FENでもラジオ放送された()。 日本人が英語によるスピーチや一部の歌唱をして驚いたという。 (出場)出場者のポール・ウィリアムスに見いだされ、以後の活躍は音楽祭がきっかけとなった。 ムスリム・マガマエフ(出場)はファイナルに選出されるも棄権。 (出場)PPMからソロに転向しての出場。 (第3回東京音楽祭出場)音楽祭から世界的ヒットに。 (第3回東京音楽祭出場)雑誌『中一時代』()を年間購読予約すると、ルネ・シマールサイン入り「銀色の万年筆」が景品であった。 対する雑誌『中一コース』()の年間契約景品はアイドル全盛グッズであり、いかに人気があったかが伺える。 (出場)現在まででこの音楽祭が唯一の来日。 スウェーデンからの出場のマドリーン・ケーン(出場)は来日中に盲腸になり、看護婦に付き添われて挨拶のみの出場になった。 グロリア・ゲイナー()は病気による欠場。 による作品「愛のつばさ」で中国から初参加のカン・ボクソン()は病気による欠場。 一説には政治的に実現しなかったという声も。 ヘレン・レディが欠場。 ナディーヌ(フランス)が当初の予定と入れ替わり、クレール・ダスタが出場。 (出場)この世界大会から正式デビュー。 は「どうしてがゲストで自分がエントリー歌手なんだ」と愚痴ったことがテレビで報道された。 (出場)この音楽祭で審査員のと意気投合し「」のテーマ曲歌手に抜擢された。 (ゲスト)は始終声が出ずじまいだった。 ゲストがということもあり、最後は「」の大合唱で締めくくられた。 (イギリス)がエントリーされていたが、メラニー・アップルビーの体調悪化で不参加。 その後、1990年に若くしてこの世を去った。 アジア大会にが出演。 アジアの歌手やらと共に、谷村が東京音楽祭アジア大会のために書き下ろした「花」を合唱した。 (出場)この世界大会から正式音楽デビュー。 司会のは、ゲストのを「筋肉質すぎて武道館の蚊も固くて刺せない」と表現した。 国内情勢が不安定だったソビエトから参加予定のは、結局ビザの関係で来日不可能となった。 () スペシャルゲスト [ ]• ()&エンドレス・サマー・バンド• 脚注 [ ] [] 注釈 [ ].

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