ドラゴンクエストユアストーリー 酷評。 小説家・久美沙織氏が『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』製作委員会を刑事告訴へ 円盤が“お蔵入り”の可能性?|おたぽる

ドラゴンクエストユアストーリーは原作無視のひどい映画だったのか?【感想】

ドラゴンクエストユアストーリー 酷評

2019年8月2日(金)から公開中の映画「 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」。 親子3世代にわたって魔王を倒し、その過程で結婚相手を選ぶことができるといった壮大な物語として、ドラゴンクエストシリーズの中でも根強い人気を誇っている作品の映画化ということもあり、賛否両論あると思います。 特に、結婚相手に ビアンカと フローラのどちらを選ぶのか、任天堂DSから出た3人目の デボラは出ないのかといった点でも、評価も変わってくるのではないでしょうか。 それでは、映画「 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー 」の評判や評価を見ていきましょう。 音楽は、 「 ドラゴンクエスト」でお馴染みの作曲家・ すぎやまこういちさんが担当しているため、ファンの方も期待して良いと思います。 作画は 鳥山明さんが担当していないことは残念ですが、 堀井雄二さんが監修し、 すぎやまこういちさんが音楽を担当するということもあって期待が膨らみますね。 そして、ドラえもん初の3DCGアニメとして大ヒットした映画「 STAND BY ME ドラえもん」や、2019年12月6日公開予定のルパン三世シリーズ初の3DCGアニメ映画「 ルパン三世 THE FIRST 」を製作したVFXの第一人者・ 山崎貴さんが監督を務めています。 私としては、日本の3DCGアニメ映画は「 トイ・ストーリー」などでお馴染みの ピクサーや「 アナと雪の女王」などの ディズニー、「 ミニオンズ」などの イルミネーションと比べると、毛並み感や水の描写などがかなり劣っている印象がずっとありましたが、今では「 マダガスカル」や「 カンフー・パンダ」でお馴染みの ドリームワークスには優っているように感じています。 また、海外だと比較的大味で描かれる背景の小物や装飾などは、日本の方が細かく描かれていて綺麗だなと感じるようになりました。 2001年に公開された世界初のフル3DCG映画「 ファイナルファンタジー」は、CGも内容的も酷くて大失敗だったので、今回は期待しています。 そして、主人公・ リュカの声優を 佐藤健さんが、幼馴染の ビアンカに 有村架純さん、大富豪の娘の フローラに 波瑠さんが、リュカの父親 パパスを 山田孝之さんが演じています。 声が合っているかどうかで賛否分かれていると思いますが、私としては、予告編を最初見た時に主人公・ リュカを演じる 佐藤健さんの声に違和感がありました。 ですが、何回か見るうち慣れている自分がいたので、鑑賞する上では大丈夫だと思います。 ビアンカを演じる 有村架純さんや フローラを演じる 波瑠さんは、ドラマCDなどから声優が変わっていますが綺麗な声でキャラクターに合っているなと思いました。 ちなみに私としては、気が強い人の方が好きなので ビアンカと結婚して欲しいなと思っています。 どちらと結婚するかも注目ですね^^ パパス役の 山田孝之さんは、ドラマの「 勇者ヨシヒコ」シリーズの演技が頭から離れずに笑ってしまいそうなので、良い意味で主人公のお父さん役で良かったなと思っています。 もちろん、ゲームを楽しんだ世代はより盛り上がれると思いますし、ドラクエ好きには登場キャラクターの3DCG描写や小物の登場に興奮すると思います。 映画だからこそできるオチが良かった。 ストーリーが集約されすぎて軽い感じがしたのが残念。 といった意見がありました。 映画「 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の評価は、 男性も女性も共に低評価の傾向にありました。 これは声優を使わず俳優を起用したことで、声を聞いたら俳優の顔を思い出してしまうこと、3DCGが思ったより違っていたことが挙げられます。 噂によると、 海外展開を視野に入れて、可愛すぎる鳥山明のビジュアルと壮大なストーリーが合っていないという海外の声に応えて変更されたそうです。 ですが、映画「 STAND BY ME ドラえもん」の時も前評判はあまり良くなかったので、もしかしたら高評価の声が増えるかもしれませんよ。 年齢別に見ると、 10代から60代まで満遍なく低評価な傾向にあり、全体的には年齢層は高めの印象でした。 これは、思い入れのある世代のイメージと違ったため、低評価になったものと考えられます。 全体的に低評価の傾向でしたが、嫌々ながらきになるから見に行くという声は多数あったので、それが功を奏してヒットするかもしれませんね^^ ラストの展開は、 低評価の声が多数ありました。 ですが、一定数 高評価の方もいるため、駄作と思って見ると良かったということもあるかもしれません。 監修を、ゲームの「 ドラゴンクエスト」シリーズでお馴染みの 堀井雄二さんが、音楽を すぎやまこういちさんが担当していることもあって期待が膨らみますね。 ですが、声優を務める俳優の評価が軒並み悪く、それによって 低評価の声が多数見られました。 ストーリーや音楽、3DCGの技術は申し分ないと思うので、酷評の嵐を払拭してヒットを飛ばすことができるのでしょうか。 主人公が誰と結婚するのか、どんなラストを迎えるのか注目ですよ^^ ちなみに、 結婚相手や演出は高評価で、 クライマックスの展開は低評価の傾向にありました。 映画「 ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」は、2019年8月2日(金)から公開中です。

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【ネタバレ酷評】『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』山崎貴のイオナズンに映画ファンは燃え尽きるチェ・ブンブンのティーマ

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ネタバレ! クリックして本文を読む 評判が悪い事だけは知っていたが、何が悪いのかは耳栓しての鑑賞。 ドラクエはプレイしたが、流石に細かい部分は忘れているので、それ程にオリジナルと比較はしなかったので、タイトルは純粋にこの作品に関する感想。 その相手との最初の出会いがゲーム画面でチョコッと触れただけなので印象に残らないから、本編で登場した時に「いつ出会った?」ってなってしまう。 それ以外のシーンも切り貼りした様な展開。 キャラの行動も上っ面をなぞっただけで、何故そんな行動するかの裏打ちもないから感情移入出来ない。 プレイしたら何十時間、映画内の時間も三世代にわたる長い物を二時間程度に納めるのは難しいのは分かるが、オリジナル頼りの作り方なのに、終わり方がアレでは批判されても致し方ないな。 ラスト、「えっ?」とは思うけども、特に斬新では無かった。 所謂、夢オチの一種+SAOの劣化コピー。 ネタバレ! クリックして本文を読む 結論から言うと好きでした。 悪評の根元たる終盤の展開も含めて。 序盤から終盤手前までかけては上手いこと5の良いとこ取りが出来ていて、戦闘シーンも上手く描かれていて、声優はキャラにもよりますがほとんど違和感なくよかったと思います! 声優陣のドラクエ愛あってこそかと。 特に、ビアンカはとても魅力的に描かれていたかと思いました。 結婚の一連の流れはビアンカの表情一つひとつが素晴らしかったと思います! ここからはネタバレ要素が強くなりますので、映画をまだ観てない方は自己判断でお願いします。 終盤についてですが、一番良いシーンの流れが止まって正直私も「えっ…」となりました。 後述しますが敵についてもえっ…となりました。 でも最後まで見終わって振り返ってみるとかなりしっくりきていてスッキリしていました。 監督の伝えたい意図に関しても共感はできますし、入れるならあのタイミングというのもわかります。 エンディングに対する「終わってしまう…」という気持ちもかなり増してより良いエンディングになったなって感じました。 1、最後の敵 井浦新さん のキャラ設定が極端に世界観を壊しすぎてる… せめて見た目はミルドラースでよかったんじゃないか、デジタル世界を消去していく説明が一気に興ざめさせすぎたかと。 もっと井浦新さんはさらっと流して現実世界のゲームスタートの回想に入って欲しかったかなと。 データ世界である伏線も引きすぎていたかなとは思います… 2、タバサも産んで… 5を楽しんでた人間として、今回のストーリーに必要なかったのはわかるし、そこに声優をあてるだけで人件費がかかるのもわかりますけど、タバサがいないだけで悲しくなってしまいます…自分のやってきた5じゃないって思ってしまいます。 残念だった点を熱く語りすぎてダメだったみたいに感じてしまうかもしれませんが、前述したように タバサ不在の残念さは残りますが 振り返ってみるととてもスッキリ見終わる良い映画でした! こういったバーチャルゲームが出たら私もぜひやってみたいなと思います。 私からはこの映画はオススメさせていただきます。 ネタバレ! クリックして本文を読む WOWOWにて、ラストと評判は知っている中で視聴。 5年後くらいに忘れたころにまた観たいなぁ。 CG聞いていたよりもよく、 モンスターやゲマのデザインは非常に良かった。 コメディ調ながら話もテンポよく進む。 ドラクエはそこまでガッツリ派ではないからかもしれないが、音楽や世界観は楽しめたと思う。 気になるのは3点。 一つはキャラクターデザイン。 鳥山明さんのデザインが好きで、特にドラクエ5の時はセル編あたりでドラゴンボールの絵も最盛期。 当時のジャンプにもドラクエ5はよく出ていて、あのデザインが好きだったのでそれで観たかったなぁと。 もう一つは声。 俳優さんでなく、上手い声優さんで観たかったなぁ。 違和感なく聞けるとかいうレベルじゃなく。 ただ吉田鋼太郎さんのゲマだけは良かった。 あとは問題のラスト。 言いたいことやりたいことは分かるが…。 ウィルスは理解しがたい。 だったら最初からゲーム感出して異世界転生的な展開にして、ゲームの世界と現実との葛藤で迷ったり、それでもゲームももう一つの現実なんだ、とした方がメッセージが伝わってきたのではないか。 メタ的にも、ラスボスが近付くとクリアが見えて達成感もあるが終わりの切なさを感じる。 その展開で観て観たかったなぁ。 ドラクエシリーズが大好きで、もちろん5の壮大な3世代ストーリーも思い入れがあるので、興味本位で観ました。 非常に長い物語を映画にするという制限がある中で、よくまとめたなっていうのが全体を通しての感想です。 映像も独特とはいえ綺麗なCGで自分は嫌いではなかったです。 以下は悪い意味で気になった点です。 1 声優陣 芸能人ではなく、ちゃんとした本業の方が良 かったです。 この作品を見るまでは、最近は芸能人の声優が増えてきて「うまいな〜」って思ってたんですが、この作品では違和感しかなかったです。 もっと感情を込めて、棒読みはやめて欲しかったです。 2 ドラクエ好き以外を置いてけぼり ゲームをやったことがある人はストーリーがわかり、場面場面の状況、心理を理解できますが、やったことない人は意味がわからないのではないでしょうか? 子どもはわかりやすい戦闘シーン以外は何のことかわからないと思います。 3 音楽がバラバラ ドラクエの大事な要素の一つである音楽は、原作のものを使っていて良かったのですが、ただただ詰め込んだだけで、まとまりがなかったように思いました。 4 ラストの展開 ドラクエの映画の観客は当然ドラクエファンが多い訳で、あまり奇抜な展開よりオーソドックスに大魔王を倒して終わりの方が受けます。 ドラクエはみんなの実生活の一部だって印象付ける意図は理解できますが、ドラクエファンの共感は得られないでしょうね。 鑑賞後にこんなにハラの立つ作品も珍しいです。 何故って? いい作品だからです。 最後10分までは・・ 切ない恋、家族との悲しい別れ、素晴らしい仲間との心躍る出会い。 手に汗握る冒険の数々・・童心に帰ってワクワクハラハラしながら、さあラスボスとの決戦! 「え!?(愕然)」 「はあ!?何それ」 そして落胆と怒り。 違うだろ。 これはファンタジーの世界のはず・・・ 観客を馬鹿にして・・・この2時間は何だったんだ?? 緊急事態下でそうでなくてもイライラしているのに、こんなの観なきゃよかった! 監督は私財を投げうってでも、最後を撮り直せと言いたい。 間違いなく良い作品になる。 ちなみに、子供に見せなくてよかった 苦笑。

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「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」がめちゃくちゃ酷評されてるのであえて初見で「ドラクエ5」をクリアしてから見に行く【前編その2】:はつざつのブロマガ

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観てきました。 感想を書くべき作品だと感じたのでこうして記事にさせていただきました。 以下記事を読む前の注意点• 映画の核心を含むネタバレがあります• 約12000字の長文です• 辛口評価です• 同時期に公開された『劇場版 Over Quartzer』の内容に触れて比較する箇所があります 以上を承知の方のみお読みください。 まず最初にこれだけは誠意を以て伝えます。 この映画は親子連れで観に行ってはいけません。 もしかしたら世のお父さんお母さんは、上映後に瞳を輝かせている子供に対して「これがぼくわたしが昔夢中になってたゲームなんだよ」とちょっぴり自慢げに語る情景を想像しながらこの映画を観に行く計画を立てているかもしれませんが、そのような光景を実現することは不可能です。 この映画は5をプレイしたことがない子供が観ても楽しめないし、お話を理解することができません。 この作品は5をプレイした大人の懐古のために作られています。 なので絶対にを知らない子供を連れて行ってはいけません。 私たちは、子供から大人に成長する中で、いつの間にか挑戦する心というものを失っていたのかもしれません。 なけなしのおこづかいで買ったゲームや観た映画がつまらなくて「チクショウ!」となる体験をするにはなかなか難しい時代になりました。 にはユーザーたちの生の感想が溢れ、いざお金や時間を使ってゲームや映画に触れようと思えば、その前に必ずインターネットの情報をチェックしてそれが「ハズレでないか」を確認するのが王道です。 雑誌のレビューよりも、匿名板を飛び交う胡乱な情報合戦よりも、それらより遥かに信頼できる上で口コミとして交わされる膨大な情報量の感想たち。 私も最近映画を観るときはなどでなんとなく面白そうという情報をれてから観るようになっていました。 しかし今回のの映画化に、というゲームで幼少期を過ごした私は強い感慨を覚えていました。 その冒険の形はゲームをプレイする人によって違うでしょうが、皆さんが心の中にの思い出をそれぞれの形で持っているように、私も私自身の体験としてのを持っています。 の感想を踏まえて観に行って「いやぁ〜大傑作でしたねぇ」「巷で言われているようにあそこの演出は原作を尊重できていない悪手でしたなぁ」みたいな知った風な口を効くことは簡単です。 けれど、本当にそれでいいのでしょうか? いくらに溢れる感想から面白いか面白くないかを判断できるといっても、この膨大な情報が身近に溢れる現代だからこそ、敢えてそれをシャットアウトすべきときもある……。 この『ユア・ストーリー』と銘打たれた映画を、私は私自身の物語として享受したい。 他の誰でもない、私だけのとして受け止めたい。 なので私は、この映画を予告編などの公式情報以外のネタバレや感想を一切見ず、ただまっさらな私自身の心のみでぶつかることにしました。 もしかしたらつまらないかもしれない。 「こんなのじゃない!」と駄々をこねてしまうかもしれない。 でもそれでいいじゃないか。 面白かった、つまらなかった、感動した、笑った……そんな感情の起伏のひとつひとつが私のという体験を、私自身を作っていくんだ。 もう一度わたしは挑戦したい。 童心に還ってこのという物語を受け止めたい。 そう覚悟した私は、公開日当日に定時退社し、もう子供ではない大人としての生活リズムの身体のまま、けれど心だけはあのときの童心を強く秘めつつ、都内の映画館で『 ユア・ストーリー』を観たのでした。 その結果は。。。 つまらなかった。 いや〜つまらない。 つまらないとしか言いようがない。 どんな作品だったとしても、たとえ原作の想い出を裏切るような体験だったとしても、私は映画を鑑賞することによって生まれる喜怒哀楽の感情をひとつの貴重な体験として尊重しようと思っていました。 しかしこの映画は 《無》でした。 ただただ映画全体が虚無で、ポカンとすることしかできない。 劇場の椅子に座ってスクリーンを眺めている間ずっと退屈で、最初と最後のシーン以外に心がほんの僅かさえも動かないんですよ。 の壮大な世界観とそこで繰り広げられる冒険が《無》という何かに落とし込まれたものを体験してきました。 けれど前情報なしで体当たりで映画を観に行って「失敗した〜」という体験を久しぶりにできて、そういう意味では非常に有意義でした。 まさしくなけなしのお小遣いで買ったゲームがつまらなくて「チクショウ!」となる感覚。 を通じて、子供の頃に持っていて大人になる中で次第に忘れていってしまった冒険心を再び取り戻せた気分です。 ありがとう、(?) これからどこがどうつまらないのかを語るわけですが、それがなかなかに難しいんですよね。 あそこが原作と違くてガッカリしたとか、あの表現がダサくてむかついたとか、そういうのじゃないんです。 前述した通りすべてが《無》に満ちている。 一応、最初と最後のシーンは心が動いたということで、まずは最初のシーンから語るのですけど、いや〜あれには動揺しました。 冒頭にて、魔王が封じられた魔界とそれを封印した天空人、そして勇者だけが扱うことのできる伝説の剣について語られます。 いわばの冒頭のアレが、お馴染みのあのテキストウィンドウで語られていくのです。 正直この演出にはワクワクが止まりませんでした。 そして物語の幕が開くとそこには…… 原作である版のゲーム画面がドカン!と表示されていた。 主人公(リュカ)を出産するパパスとマーサ• 船で旅をする主人公とパパス• レヌール城にておやぶんゴーストと対決する主人公と• のゲレゲレを仲間にする主人公 これらの展開が実際のゲーム映像と共に繰り広げられていきます。 ポスターと予告編にて3DCGで描かれたキャターたちを観ていた私は、凄まじい動揺を受けると共にこれらの映像が示すものに次第に気づいていきます。 「これ、ダイジェストか?!」 わかってはいた。 一本の映画に5の壮大な物語がそのまま収まるはずがない。 どこかしらの要素をオミットしたり、物語の筋書きを大幅に書き換えたり、ゲームから映画にメディアが変わる以上は様々な描写の見せ方が変わってくるのは承知していた。 しかしまさか実際のゲーム画面を用いてダイジェストにするとは。。。 たしかに原作付きの作品で諸々の商業的縛りによりダイジェストを展開しなければならないとき、一番やりやすくてなおかつ観客の間にも齟齬が発生しない方法が何かといえば、そりゃまぁ原作をそのままやることなんですよね。 最初に「親子連れで観に行ってはいけない」と書いた理由のひとつがこれで、 劇中で語られる「との出会い」「フローラとの出会い(版は幼少期にフローラと出会うシーンはないのだけどダイジェストではいい感じに捏造されてる)」「ゲレゲレとの出会い」「ゴールドオーブの入手」は全てゲーム画面のダイジェストで終わるため、 原作を知らない人は後にと再会し、フローラと再会し、ゲレゲレと再会してもなんのことやらさっぱりなんです。 ゴールドオーブなるものを幼少期の自分が持っていたので時間を超えてそれをすり替える……という流れも映画一本だけでは意味不明です(5を象徴する物語上のギミックのひとつなので削りたくないのはわかるけど。。。 ) この時点で「この映画は単体で作品として成立させる気はない」ということに気づき、私は作品を鑑賞する心構えを大きく変えることになります。 そんなこんなで壮大なの世界観を原作のゲーム画面そのままで表現したダイジェストの後、パパスがゲマに焼き殺されるところから実質の物語が始まります。 そしてその実質の物語が限りなく《無》なんです。 心が全く揺れ動かない、虚無の冒険が幕を開けます。 とりあえず以下の箇条書きを読んでください• 住人が兵士ひとりとヘンリー王子しか描かれない(そこが城ということすら認識できない)• 雪中に佇むパパスの一軒家のみ描かれる(ただの一軒家なのでという単語が村の名前と理解できない)(妊娠〜出産を経る月日が描写される間もずっと降雪してる)• ルドマンとフローラしかいないルドマン邸(使用人とかはが怖くてみんな逃げちゃったのかな?)• 原作では村人に話しかけることでその村の生活や状況などを推察したりできるが、この映画の村人はガヤ以上の喋りはしないモブなので、その村や街の人々の暮らしは見えてこない• そのため魔王と魔物が世界を脅かしている様子がイマイチ見えてこない(それっぽく侵略の様子が描写されるが宙に浮いている)• 劇中の重要な設定として天空人の単語が繰り返し語られるが、魔王を封印した彼らがかつてどのように暮らしていたのかなどのバックボーンは一切描写がない(もオミットされている)• ことが登場するが、彼についてのバックボーンも一切ない• やなどの名前がちらりと出てくるが、さりとて世界観を補強する役割はなく、映画としては不要なただの無駄情報として提示される• 街の移動が世界地図の表示や航海する船のカットで済まされる箇所が多すぎる• 「やくそう」と「てんくうのつるぎ」以外の名前がついたアイテムは登場しない• などの状況により映画の世界がの世界だという認識が持てない 3DCGで描かれた『 ユア・ストーリー』の世界はの世界として成立していません。 それどころか以前にひとつの「世界」としてすら成立していません。 そこで起きる出来事を私は「世界」を舞台にした「冒険」と受け止めることができませんでした。 えげつないと感じたのは、兵士とヘンリーしかいないやパパスの家しかないが3DCGで描かれる度に、私の脳みそはそれらを補完するべく必死にのドット絵で描かれたマップ画面を思い出そうとするんです。 目の前で3DCGの映像が流れているのに、それを補完するためにドット絵を思い浮かべる必要があるってどういうこと? 3DCGで描かれる壮大なの世界を堪能するために映画館へ足を運んだはずなのに、実際はドット絵で描かれたゲームの方が遥かに世界の豊かさに満ちあふれているんです。 そんなのアリか? そして世界観のみならず物語においても、様々な虚無が私を襲います。 サンチョって誰?(の設定はオミットされているのでパパスに付き従う召使いっぽい言動の彼が誰なのかは最後までわからない)• 大神殿を建設する奴隷として働くが、その大神殿は最後までその映像が描かれず、何のために石を運んだりしていたのかが最後までわからない(最終決戦の舞台は大神殿の上空にある場所)(掘った穴をまた埋め直すとかそういう類のやつかな?)• ヘンリーはダイジェストが終わるといつの間にかから攫われて、次の場面で気づけば隣にいて一緒にゲマに捕まり、その後大神殿を脱出するとすぐに場面が移り、結局何故彼がそこにいたのかよくわからないまま別れる(ヘンリーが物語に存在する意味は最終決戦にその他大勢と一緒に助太刀に駆けつける以外にない)• 「のルドマンが天空の剣を持っているらしい」「大神殿城下街ではが人間に化けているらしい」と物語を進める情報が特に捻りもなく登場人物から「そういえばこんな話があるよ」とばかりに素で提示される• 上に同じく登場人物が唐突に「!」「!」と叫びながら嵐や炎を呼び出す。 いやわかるよ?それがMPを消費して発動する魔法という行動で、レベルアップすることでそれらを取得し、モンスターとの戦闘を優位に運ぶことができるのは知ってる。 フローラが主人公の持つ本当の気持ちに気づかせるため占いばあさんに変身してとの仲を取り持つが、どうして彼女が他人に変身したり真実の愛に気づけるような薬を持っていたのかは一切説明されない(変身は的な魔法と推察できるのだけど、そもこの世界における魔法という概念がロクに説明されていない)• 最初はフローラを結婚相手として考えていたが、薬を飲んで深層意識に沈み自己暗示をアンロックすることでその奥底にある最愛の相手がであることに気づく。 しかし全てが理屈の上の物語展開と演出であり、そこに観客が感情移入できる余地は一切ない• 「背中を任せられる相手が本当に大切な人なんだ」と喧嘩しながらも一緒に冒険をしてきたを結婚相手に選ぶが、幼少期のとの想い出はダイジェストのゲーム画面でしか描かれないので、映画の登場人物としてのオリジナルの性格付けをされたとした冒険や観客としての彼女への思い入れは、の近所の穴でと対決した以上のものがない• 尺の都合上あらゆる出来事がまさしくイベントをこなすかのように進行するので、に来て結婚イベントが発生し結婚相手を選ぶまで劇中で一晩の時間しか経っていない。 もフローラも実質に来て初めて登場したキャターなので、ワンナイトの勢いで結婚相手を即決しているような状況• 天空の剣を鞘から引き抜けない主人公は真の勇者ではない!といった描写が頻出するが、息子が天空の剣を引き抜く肝心のシーンは「石化が解かれた!すごい年月が流れてる?君は僕の息子?あっ間違えて天空の剣を渡しちゃったらなんか使いこなしてるよ!」ぐらいのスピード感で描かれるので感動する余裕すらない• 劇中でことわざの誤用にツッコミが入るシーンがあるのだけど、そもファンタ世界で日本のことわざが出てくるのがよくわからない(全体的な台詞回しにおいても「やばい」みたいな俗な言葉遣いが多く、もちろん原作ゲームの台詞で物語を進行させるのは無理なので脚本家の色を出す必要があるのだけれど、それにしてもどこか世界観にそぐなわない違和感を覚える)• 物語のテンポがめちゃくちゃで、謎の説明シーンに?となったり「ここが盛り上がるところですよ!」と暗に言ってくるようなシーンに「お、おう」と無理やり感情を高めなければいけなかったりする が映画化され、その物語が5を下敷きにしたものになると知ったとき、私は心の中で「なるほど」と頷きました。 5は親子三代に渡る物語です。 父の志を受け継ぐ息子。 家族愛というものは普遍的なテーマです。 5を原作として選ぶことにより、家族愛といった要素に乗せて、を知らない人も心揺さぶられる物語を届けることができる……映画を観る前までは5というチョイスにただ唸ることしかできませんでした。 しかし実際は違いました。 この映画に家族愛みたいな要素はありません。 ちぐはぐなダイジェストと物語進行で、親子三代のドラマを感じることすらできません。 「本当の勇者は主人公ではなくその息子だった!」という5最大のギミックすらあやふやです。 親から子へ継がれる親子三代のドラマが成立してない• 結婚相手を選ぶにおけるドキドキ感やら恋愛やらのドラマも成立していない• 原作ゲーム画面でダイジェストをしている以上、一本の映画として成立させることを諦めている• かといって割り切って原作の雰囲気を懐かしもうとしても、の世界観を表現することさえできていない そんなこんな破綻を抱えたまま物語はクライマックスへ。 最後の最後で復活した大魔王は、実はと置き換わって世界に介入したウイルスであり、なんとこの世界が仮想現実のゲーム世界だったことが判明します。 それにより主人公以外のゲーム内時間は停止し、3DCGはテクスチャを剥がされ灰色のポリゴンとなり、そのポリゴンは分解されて塵へと消えていきます。 絶望する主人公。 主人公は現実世界においてただの平凡な会社員であり、をリメイクした仮想現実を体験できるゲームにおいて幼い頃にをプレイした想い出に浸りながら主人公になりきっていただけだったのです。 この瞬間、この物語におけるあらゆる謎が解かれます。 本当に自己暗示だった) Q.どうしてには兵士とヘンリーしかいないし、はパパスの家しか出てこないし、全体的に3DCGによる世界観の表現がガバガバなの? A. ゲームだから Q.どうしてこの映画はちぐはぐでめちゃくちゃでつまらないの? A. ゲームだから Q.ユア・ストーリーって? A. ゲームだから そういうことだったのかリリン……となるばかりの超展開。 これまでの物語がどんなにつまらなくても、それがゲームだったからと言われたら仕方ありません。 つまらないことさえ伏線だったのです。 なるほど〜そういうことだったのか〜ゲームだったらつまらなくても仕方ないな〜 ってそんなわけあるか!!!!!!!!!!!!! 「実は全部ゲームでした」というどんでん返しがこの映画が娯楽作品として破綻していて一時間以上《無》の映像を観せられることの免罪符になるかといえば全くなりません。 しかしこの物語展開が、この映画が、スタッフ一同によって真摯に作られているということは観客の私にも伝わってきました。 「そもそも一本の映画でをまともにやるなんて無理でしょ」 そんなスタッフの心情が、ゲームの世界として切り捨てられ破壊されていく3DCGのキャターを通じて伝わってくるようでした。 そうです。 無理なんです。 私は子供の頃は、つまらないゲームや映画に「どうして大人たちはこんなつまらないものをさも面白いかのような嘘の宣伝をしてこの世に送り出してユーザーを失望させるのだろう……」みたいなことをぼんやりと考えることもありました。 でも今の私は大人です。 大人の私は、普段私たちが楽しんでいるゲームや映画はたくさんの人々が携わった結果であることを知っています。 良い結果を出すには人・金・時間が十分に用意されている必要があり、そして現実とは往々に残酷でそれらが不十分なまま物事に取り掛からなければならないことがあるのです。 『 ユア・ストーリー』はそれらが不十分な作品でした。 家族愛という方向性で一般層にウケることを狙うためにも、往年のファンの懐古をくすぐって満足させるにも、それらを達成するために原作ゲームの要素をうまく再構成して一本の映画として再構成する技術を持つスタッフは存在しませんでした。 そもそも映画の尺的に無理でした。 3DCGは予算の都合で町や村の情景をの世界観に落とし込んで表現することはできませんでした。 もちろんキャターたちの表情は豊かで、アクションシーンもグイグイ動き、決して品質が悪かったというわけではありません。 ただ日本の3DCGによるアニメーション表現の限界がここまでであり、ドット絵で壮大な世界観を表現していた原作が3DCG以上に偉大だった……それだけの話です。 しかし背負うのはの看板。 声優は豪華俳優陣。 一本の映画が作られるまでにはたくさんの利害関係者が関わっています。 そんな方々のためにも、プロとしての矜持のためにも、仕事で食い扶持を稼いで家族を養うためにも、決して途中で「こんなの無理だよ!」と投げ出すことはできません。 もし「ゲーム世界でした」というオチがなければ、この映画は何の価値もない駄作だったでしょう。 よくあるつまらない実写映画化と同系列……という烙印を押され、よくあるたくさんのメディアミックスにおいて恵まれなかった作品としてすぐに人々の記憶から消え去っていたはずです。 もちろん駄作の烙印と人々の記憶からの消失は避けられないでしょうが、この「ゲーム世界」というオチは映画を観に来た観客にどんなに小さくとも「オッ」と思わせるものがあったのではないでしょうか。 ウイルスによって破壊されるゲーム世界。 悲痛な叫びを上げる主人公にウイルスは告げます。 「大人になれ」 主人公のへの想い出を、ゲームという体験を、まるっきり否定する言葉。 「実はおれはウイルスに対抗するワクチンなんだ!おれの力を使え!」 ちなみにこの瞬間はじめて喋ったスラリンのCVはさんです。 映画から迷い込んできたのかな? そんなスラリンを媒介に召喚されたのはを思わせるシルエットをした光り輝く剣。 幼い頃からという作品が自分に与えてくれた勇気を糧に、偽物と切り捨てられたこのゲーム世界を通じた冒険がたしかに現実の経験として心に在ることを信じ、主人公が振り下ろした剣はウイルスを斬り裂くのでした。 こうするしかなかった。 破綻している物語をそれでも物語として繋ぎ止めるには、これしかなかった。 この映画において結局最後までウイルスやらワクチンがどういう存在なのか、どうしてそこに在るのかは判明しません。 でもこれでいいんです。 真の敵は「こんなのゲームでしょ」とゲームの体験を否定する存在であり、そしてそれに抗うのは幼い頃にゲームを通じてワクワクを体験した主人公のゲームの体験を信じる心なのです。 真の敵に抗うためのキーとなるのがスライムとなのは、それがという物語の象徴だからなのです。 実はこの世界そのものがひとつの本だった。 私もいくつか思い当たる節がある中で、映画を観ながら類似点を強く感じたのは、同時期に公開された映画『劇場版 Over Quartzer』でした。 映画のテーマと同じくも子供たちの夢を背負って立つ作品。 平成が終わり令和の世へと踏み入れた時代において公開されたこの映画もまた、映画と同じくメタな展開をする作品でした。 映画内でタイムスリップの描写があるも、辿り着いた戦国時代におけるにおいては馬を使う予算がないせいか、武田軍の騎馬隊がなんと騎馬戦で表現されます(は?) そんなムチャクチャな展開の後に待ち受けるラスボスは「平成をやり直す」という目的を掲げていました。 ラスボスの目的は、これまで20作品の間で色々とムチャクチャだったの歴史をやり直し、凸凹な世界観を統一してキチンとした作品として舗装することだったのです。 「そもそもこの作品つまらなくない?」という究極のメタが敵となる映画において、しかし主人公たちは諦めず「たとえ凸凹でもこの平成という時代を生きてきた自分たちの一歩一歩を信じる」という信念の前にラスボスは(いわゆる令和おじさんのパロディのポーズをしながら爆散して)敗北します。 物語世界に対するメタで作品を成り立たせている両映画ですが、しかし私が感じる作品への評価はまるで違いました。 例えるなら、映画はジオウ映画における騎馬戦のシーンだけを100分近くひたすら流して、最後の1分で平成キックをしたような作品。 「どんなに凸凹でもこれが俺たちの生きた時代なんだ! それを否定なんてさせない!」 というメッセージは立派でも、そこに至るまでが騎馬戦100分だったら「いやこれが平成を駆け抜けた軌跡なのだとしたら平成やり直したほうがよくない?」ってなっちゃうじゃないですか。 そもそも映画はメタを語る前に本筋がつまらない……虚無なんですよね。 映画の最後に出てくるメタの部分は「最高!と共に青春を過ごした俺たち最高!」みたいな話以上に、そもそも 物語が破綻しているのをどうにか作品として繋ぎ止めるためにやっているわけで、それが終盤までの物語がつまらないことへの免罪符になるかといったら前述の通りならないわけです。 最後に何をやっても、私が映画を観ている約100分は「 つまらない」という感情でいっぱいだった。 最後のメタ展開はそのつまらなさへの言い訳でしかなかった。 そもそも本気でメタ展開で物語を成立させるなら、序盤の時点でこれがバーチャル世界だと提示するだとか、もっと他のやり方があったはずなんですよね。 『スライムはの象徴!そこから引き抜かれるで、ゲームなんて嘘っぱちなんて言うやつに見せつけてやろうぜ!』 これはラストの展開で伝えたかったであろうメッセージを私の言葉で書き起こしたものです。 言いたいことはわかる。 わかるよ。 でも伝わらない。 例えば「ゲームなんてくだらね〜笑」といじめられてた少年がそれでもゲームの可能性を信じて、大人になってゲームデザイナーになったり、そうでなくてもゲームがあったからこその人生を送る映画のラストがこれだったら感動していたと思います。 でもこの映画で「所詮ゲームなんて嘘っぱち」という話が出てきたのはラスト10分未満くらいのところなわけで、そこで「それでもゲームの可能性を信じる俺たち!泣」みたいな話をされても呆然とすることしかできませんよ。 スラリンの「おれはワクチン!(CV. )」で私は考えるのをやめました。 でも最初に述べた通り、やはりこういう「つまんない映画観ちゃったな〜損したよ」みたいな体験も、大切な経験だと思うんですよね。 映画の中ではをプレイする幼い頃の主人公は瞳を輝かせていましたが、現実ではパパママからの誕生日プレゼントとかで買ってもらったゲームがとんでもないで後悔するとかそういうこともあったはずなんです。 面白いだとかつまらないだとかそういった喜怒哀楽の経験が全部ひっくるめて人間を形作る糧となり、そうして人生というものは続いていく……。 人によってはラストの展開を「観客に対して不誠実だ」と思うかもしれません。 でもあれだって映画の制作スタッフが一生懸命頑張った結果なんです。 私はあの結末を(クソつまらなかったという形で)受け入れています。 私が映画を観た劇場では、の仕事終わりに映画を観に来たスーツ姿のサラリーマンたちが映画が終わると同時に「まぁ、仕方ないよね」と口々に話していました。 私たちは子供から大人になったのです。 そしてその中で成長したのです。 「仕方ない」を大人になったが故の諦めとして捉えてしまう人もいるかもしれません。 けれど私はそうは思いません。 「仕方ない」という言葉は諦めではなく赦しなのです。 広い視野を以て物事を捉えられるようになった大人による、誰かの失敗を受け止めてその心情を慮って許すという優しい心なのです。 どんな映画作品にもそれに仕事として取り組んだスタッフたちがいる。 作品への評価は別として、誠実に作品と向き合ったスタッフに対して、最低限の敬意を持ちたい。 という作品に触れて育った私ですが、決してゲームのキャターのようにカッコよく優しく強い存在にはなれません。 ありがとう、 ユア・ストーリー ありがとう、こんな映画を観ても赦せるだけの懐の深さを作ってくれたジオウOQ たとえどんなにつまらなくてもそれが「ユア・ストーリー」だと言われてしまったからには、それが私という人生の物語の一部に組み込まれてしまったという事実を受け止めて生きていくよ。 でもまだ観ていない方は、わざと地雷を踏んで「こりゃひで〜わ笑」となる遊びをしたい方以外は観ない方がいいよ。

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