日航 機 墜落 事故 中曽根。 中曽根康弘家系図と息子や孫!墓場までジャニーズと日航機墜落事故?

日本航空123便墜落事故

日航 機 墜落 事故 中曽根

機体後部の圧力隔壁が以前の尻餅事故の済、十分な補修点検がされず、気圧の変化に対応出来ず、破壊破裂したのです。 この公式発表は真実でしょうか? ジャンボ旅客機の客室は、乗客が快適に過ごせるように、1気圧が保たれています。 ジャンボ旅客機が飛んでいる高々度は空気が薄く、4分の1気圧です。 そこで、その差0. 75気圧で、ジャンボ旅客機の尾翼を吹っ飛ばせるのかどうかが問題となります。 さて、ちょっとした物理学の問題です! 墜落したボーイング747は重量が、162. 4 tあります。 それに、524名の人が乗っていました。 平均体重を55kgとして計算すると、28. 82tとなります。 それに燃料とか乗客の荷物とかを合わせると、ざっと計算して200tぐらいになりますね。 その飛行機が時速約1000kmで空を飛んでも、壊れないように出来ているのです。 その機体の尾翼を破壊するためには、どのぐらいの力が必要になりますか? 計算も糞も要らないですね。 そもそも隔壁が一気に外れたから垂直尾翼が吹っ飛ぶような力が生まれるかというと不可能です、一気圧しかないのだからそれが4分の1気圧との差0.75気圧で垂直尾翼が飛ばせるかというと不可能ですね。 機体の中ではかなり頑丈です、時速1000キロで飛べるだけの力が働いてびくともしない尾翼が飛ぶわけがないですね。 では、真相は? 自衛隊のパイロットは、大型旅客機のパイロットをバカにしています。 それはF1レーサーが、大型バスの運転手をバカにしてるのと同じ理屈です。 (パイロット養成機関で良い成績を取った人が、自衛隊の超音速ジェット戦闘機のパイロットになり、そうでない人が、大型乗合旅客機のパイロットになるのです) そこで自衛隊のパイロットは、慢性的に大型旅客機を仮想敵機にして、射撃訓練をしています。 そして日航123便のときは、安全装置が解除されていたのに気付かずに、火薬の入っていない訓練用ミサイルを発射してしまったのです。 1971年7月30日、全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落しました。 自衛隊機の乗員は脱出に成功しましたが、旅客機は空中分解、162名全員が犠牲となった事故も、大型旅客機を仮想敵機にして接近しすぎたことが原因でした。 また、1952年4月9日、日航の「もく星号」が墜落したのも原因は同じだったのです。 自衛隊は同じ事故が重なって発生している為、真実を隠蔽するためことに躍起になっています。 このサイトにも、真実を隠蔽するための自衛官の書き込みが沢山ありますよ。 (私のこの書き込みに反論する輩も、自衛隊の隠蔽工作員です!) 私は、真実を隠蔽するために、救助を遅らせ、大勢の生存者を殺害した、自衛隊の隠蔽工作が何より許せません! (直ちに救出すれば、大勢の生存者の内の誰かの口から、ミサイルの誤発が世間に広まってしまいますから・・・) 陰謀論なんてのは東大卒のあるキチガイレベルの天才哲学者とか含めてマスコミに出てるそこらへんの凡人レベルの学者よりはるかに天才の人たちが、とっくに20年以上も前から本とか出して発表してた類のものなんですよ・・・でもマスコミが反日だからそういう情報がテレビでは長年放送禁止だっただけです。 凡人たちの集まりである一般社会はそういう天才たちの出している本とかには見向きもしないで仕事やら趣味やら恋愛やら遊びやらそんなことしか興味がなかったわけです・・・それがネット社会になってそういう情報がネットでやたら出回るようになった途端に凡人たちは陰謀論に夢中になり出しました・・・ ネットというのはテレビやマスコミと違って規制がまったくなく何でも情報を流せる無法地帯のフリーダムな世界なので 笑 そして陰謀論が流行り出した途端にそんなの常識だとか言い出すようになりました 笑 そしてああでもないこうでもないって今ネットで言い争ってます 笑 凡人たちは天才のいう非常識の世界をとことんバカにしてこき下ろして見下すくせに、それが流行し出したりある程度認められるようになるととたんに「そんなの常識だ」とか言い出します 笑 それが凡人の特徴です。 凡人は世間に評価されないキチガイの天才は理解できないからとことん嫌いですが、世間に評価された天才は「あーすげー俺も天才の気持ちわかる」っていう感じで認めてあげたくなるのです。 凡人と天才の愚かな歴史は繰り返されてます。 ネットで「凡人 天才」とかで検索すればそういうことが分かります。 特に最近の若者はネットのお陰で自分たちだけこそ真実が分かってるみたいに勘違いしている陰謀論中毒者が多いですので困ります。 1985年8月12日の日航123便墜落事故について、事故当日、相模湾で、海上自衛隊が実施していた誘導ミサイルの検証実験中の事故に巻き込まれたために、発生したと考えられます。 生存者の方の証言、クルーが酸素マスクを着用しないで、20分間、高度約7000㍍を維持したまま、操縦を継続したこと、機内を撮影した写真、乗客の方が遺書を書ける状況であったこと等から、日航機内に、頑強な垂直尾翼を破壊するような空気の流れは発生しなかったと思われます。 異常事態直後、機長は、気圧のことには言及しないで、「まずい、何か、分かったぞ。 」と発言した上で、「ギア、見て、ギア」と指示したのは、減圧兆候が見受けられなかったためであり、作動したのは、客室高度警報音ではなく、車輪の異常を報せる離陸警報音であったと考えられます。 日航機は、機体を安定させるために車輪を出し、山梨県大月市上空で右旋回をしながら高度を下げ、横田基地への緊急着陸体制に入っていましたが、地上での二次災害を回避するためとして、断念したと思われます。 山腹への不時着でありながら、事故直後には、衝撃が緩和された後部座席を中心に多数の方が生存し、結果的に、4名の方が救出されたのですから、最後まで諦めなかったクルーの姿勢は、高く評価させるべきであると考えます。 長野県川上村梓山地区に住む女性からの通報、米軍Cー130輸送機の搭乗員及び航空自衛隊員からの連絡により、事故直後に、現場は特定されていましたが、長野県御座山が事故現場であると、誤った情報を流すことにより、意図的に救助活動を遅らせ、証拠隠滅を図っていたと思われます。 事故翌朝、午前8時49分に、空挺部隊 習志野 が、現場に降下していますが、もっと早く救助活動を行っていれば、多くの方の命を救うことは可能であったと考えられます。 陰謀論はまずありえません。 自衛隊のミサイルが命中したなどと言う事もないです。 当時、相模湾では「やまゆき」が公試中で、同艦がたまたま123便の尾翼の破片を発見しました。 ですがその「やまゆき」はまだ自衛艦籍に入っておらず、試験は計画通りの最大速力が出るか、舵を切ったら問題無く旋回できるか、と言った船としての性能を測るものであってミサイルなど搭載しておらず、もちろんミサイルの試験など不可能です。 更に123便に異常が発生してから墜落するまで30分です。 この間に管制塔との間でも状況を把握するためのやりとりが必死で行われていますが、パイロットも尾翼が吹き飛んだといった被害状況を把握出来ていませんでした。 当然ながら担当の省庁である運輸省の航空局も正確な事態を把握するのに苦慮しており、多くの誤報に振り回されていました。 日航機にいかなる異常が生じたのかも分からない、墜落するかどうかも分からない、墜落するにしてもいつどこに落ちるかも分からないわけです。 もちろん中曽根総理に入る情報は、運輸省でまとめたものですから「日航機に異常があった」という以上の情報が当日に入ったとも思えません。 これでいかなる陰謀を実行出来るのでしょうか? しかも事故の翌月にはボーイング社が「しりもち事故の修理が不完全だった」事を認めています。 この事故はアメリカ政府も重視し、調査委員会にはアメリカから10人の国家運輸安全委員会のスタッフが送り込まれています。 つまり自衛隊による誤射だとするなら、世界的巨大企業であるボーイング社だけでなくアメリカ政府まで、そのような陰謀を了承させる必要があります。 日本政府が 「自衛隊の誤射でボーイング社の飛行機を打ち落として何百人も死者が出たけど、その責任をボーイング社の修理ミスのせいにしていいですか?」 と問うたとしてアメリカ政府が了承する可能性があるでしょうか? このように少し考えれば陰謀などあり得ない事が明らかです。

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日航機123便墜落事故の真相と謎 生存者証言と自衛隊撃墜説は真実?

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合計524人の乗客乗務員を乗せたJAL123便は、出発予定時刻から4分遅れの18時4分に羽田空港を出発しました。 そして18時12分には滑走路から離陸します。 ところが離陸から12分後の18時24分のことです。 JAL123便の機体に突如として異常が発生します。 いきなりの轟音と共にJAL123便の垂直尾翼は大部分が破壊され、航空機の各部分へ油圧や電力、圧縮空気を提供するための小型エンジンも失ってしまいました。 さらにそのときに油圧操縦システムがすべて破損してしまい、それにより操縦システムに不可欠な油が流れ落ちたため、操縦桿を使ってのJAL123便の機体コントロールを行うことが出来ないという異常事態となってしまったのです。 機長はこの異常事態が発生した後、急場を要する事態だと判断して管制塔へ緊急SOS信号を発信し、羽田空港へ戻ることを申し入れました。 機長からの緊急SOS信号を受信した管制塔がそれを受け入れ、羽田空港もJAL123便の緊急着陸受け入れの準備を進めました。 管制塔はJAL123便に対し、無線で航空進路の指示をします。 ところが機長からの返事は「But now uncontroll 操縦不可能 」というものでした。 この時点で初めて管制塔は、JAL123便が操縦不可能な状態であることを把握するのです。 その後もJAL123便が御巣鷹へ墜落するギリギリまで、管制塔と機長は緊迫した中でやり取りを続けていたようです。 無線応答が途絶え、レーダーから姿を消した後も、管制塔は無線を発信し続けました。 JAL123便が低空飛行を続けている可能性が残されていたためです。 しかし、その時JAL123便はすでに御巣鷹へ墜落した後でした。 応答が返ってくることは無かったのです。 垂直尾翼の大部分を失ったために不安定となったJAL123便の機体は、上昇や下降を繰り返しながらも機長や副機長らの懸命の努力により、地上から6000メートル付近でおよそ17分間の飛行を続けていました。 JAL123便は羽田空港方面へ向かっていたものの、埼玉県上空の強風によりあおられ、左旋回して群馬県にある山岳地帯へと向かい始めたようです。 その後も何とかして持ち直そうと、機長らはJAL123便の機体コントロールを試みたといいます。 ところが南西からの強風にあおられたことがきっかけで、機体は急降下を始めます。 ついには右主翼と機体後部が御巣鷹の地面と接触します。 すべてのエンジンや右主翼の先端などが外れて落下したことで、JAL123便は機体の後部が分離するという事態に直面するのです。 生存者の川上慶子さんら4人は、機内最後尾の中央近辺の座席に座っていたようです。 座席のあった機体後部が、御巣鷹の地面と接触する際に発生する多大な衝撃を身体に受け、それにより即死となった人も多くいたと推測されています。 実際に、警察や自衛隊員が生存者の捜索中、遺体のほとんどはまるで眠っているようなきれいな状態であったため、隊員は遺体ひとつひとつの脈を調べて生存者の捜索をしていたようです。 生存者である川上慶子さんら4人は、座っていた姿勢や周囲の人や物が、偶然にも御巣鷹の地面との接触時の衝撃をやわらげるクッションのような役割を果たし、それにより命を取り留めることが出来たのではないかと考えられています。 救急ヘリコプターに夜間救難装備が搭載されていなかったことも、日航機墜落事故の救助や捜索が遅れた真相だと言えるでしょう。 日航機墜落事故が発生した夜、航空自衛隊へ航空救助の要請があり救急ヘリコプターが出動しました。 しかし、当時所有していたヘリコプターにはナイトスコープなどの夜間救難装備が搭載されていなかったことを理由として、隊員が現場へ降りての捜索は行われなかったようです。 救難用のライトを使用しての救助活動は可能であったはずなのですが、その真相がいかようなものであったのか現在でも曖昧な部分が多くあります。 そうは言っても、どのような真相であってもより早く救助活動をしてさえいれば結果は変わっていたでしょう。 日航機墜落事故は1985年8月12日に御巣鷹で発生したJAL123便墜落事故のことで、当時JAL123便に搭乗していた524人中520人が犠牲となりました。 これほどまでの犠牲者が出る航空事故は無く、現在でも未曾有の大事故だと言われています。 日航機墜落事故が起きた原因は、ボーイング社のJAL123便の機体修理ミスだという報告がなされました。 しかし、遺族や航空関係者から他の原因を唱える声も多く挙がっており、真相は謎のままとなっています。 多大な犠牲者が出た中で生存者はいないだろうという絶望的な状況の中、信じられないことに川上慶子さん、落合由美さん、吉崎博子さん、吉崎美紀子さんの4人の生存者が存在していました。 川上慶子さんら4人が生存者となった理由は、当時JAL123便の機体後部の中央付近の座席に座っており、運良く強い衝撃と火災を免れたことにあるようです。

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中曽根康弘 死去!日航機墜落事故 墓場まで発言は何だった?│OmoseeK

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いま、巷で評判の本がある。 1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機墜落事故を扱った『日航123便 あの日の記憶 天空の星たちへ』 マガジンランド である。 この事故に関して鋭い斬り込みを見せる元JAL職員にして、著者の青山透子氏にインタビューを敢行した。 JALに入社後 私が所属していたグループで、仕事を教えていただいた先輩たちが、この事故機の客室乗務員でした。 あの時、乗務員全員が墜落の瞬間まで乗客を救うことだけを考えて、そのうちのお一人が、事故のギリギリの瞬間まで、不時着のその先を考えたアナウンスを メモに 書き続け、その手帳が事故現場で発見されたのです。 特にお世話になった先輩の某さんは、新婚で結婚後初めてのフライトだったんです」 リアルライブ「つまり人ごとではない、自分がお世話になった先輩方が、最後に命をかけて伝えようとした事故の真実を知りたいという気持ちが強かったんですね」 青山「真実プラス、プロ意識ですね」 リアルライブ「それはジャーナリズムの? それともJALの元関係者としてのプロ意識ですか?」 青山「いわゆる JALの 仕事としてのプロ意識を私が受け継いだ以上、ジャーナリズムとして、それを伝承したいという意図です」 リアルライブ「つまり、JALの社員である以上に、ジャーナリストとして真実を今から広めていくのがご自分の役割だというのですね」 青山「そうですね、はい」 リアルライブ「身の危険とかは考えなかったんですか?」 青山「ええと、この私の周りでですか? 一切ないです。 というのは、私が書いているのは事実だけなので。 米軍が誤射したとか言ってる人もいます」 青山「私は自分で見聞きしたもの以外は書いていませんので、他の説は知りません。 だから恐らく真相は、総理大臣か運輸大臣とか、時のそういう、昔の方々しか知らないことかもしれない」 リアルライブ「 当時の総理大臣 中曽根さんですよね」 青山「ええ、そうでしょうね」 リアルライブ「あくまで噂なんですが、中曽根さんが米軍の出動を阻止したとも囁かれています」 青山「それはどうでしょうね。 ただ、ひとつ言えることは、 青山氏が教鞭をとっている学校の 学生たちと、この事故の前後も含めて一週間後、首相の中曽根さんがどう行動したかっていうのを、新聞にある『中曽根さんの一日』という、首相の動静を書いた記事の部分をすべて逆読みしていくと一切、御巣鷹山に行かずに軽井沢でプールで泳いでいたり、ゴルフしていたり 笑。 他には、自分の人間ドックを優先させたり、ということで驚いたんです。 私は学生に言われたんです。 『先生、今こんな状態だったら、すぐ辞任ですよね』って」 リアルライブ「今ならそうでしょうね。 当時はそこまで情報のスピードが速くなかったですよね」 青山「でも『中曽根さんの一日』はしっかり書いているんですよ。 プールで泳ぐとか遊ぶとか」 リアルライブ「今、ツイッターでリアルタイムに鳩山さんとか動きが分かりますが」 青山「しかも、当時マスコミも、『何やってるんだ!』って騒がなかったんです」 リアルライブ「誰一人、マスコミ陣が立ち上がらなかったんですね。 悲しいことですね」 青山「ですから、私の取材過程において、上野村の人に話を聞いたのですが、皆怒ってますよ。 特に当時村長だった黒澤丈夫氏は、今でも怒っていらっしゃいました。 これは本に書きましたが、あの日航機事故のすぐ後、8月23日に、イギリスで英国航空の子会社が事故を起こして、その際、当時首相のサッチャー氏は急きょ休暇先から駆け付けたのです。 54名が亡くなりました。 それと比較しても、首相の役割とは何かと強く訴えていました。 さらに、どちらも国営航空 日航は当時半官半民で、政府が株を持っていた ですから、株主としても当然でしょう。 中曽根氏がプールで泳いでいた 軽井沢と、墜落現場の上野村って隣ですよね。 ちょっとすれば車で行けるところなのに」 リアルライブ「車で数時間でしょうか」 青山「そうですね。 一度も 墜落現場に 来ずに。 せいぜい11月くらいに息子さんと、選挙のためにちょっと顔出しただけっていうことでした」 2 に続く 青山透子 あおやま・とうこ …宮城県出身。 全国学芸コンクール、戯曲・シナリオ部門第一席、社団法人日本民間放送連盟会長賞受賞歴を持つ。 日本航空株式会社に客室乗務員として入社。 その後、日本航空客室訓練部のノウハウをもとに様々な企業研修を行う。 全国の官公庁、各種企業、病院等の接遇教育インストラクターを経て、専門学校、大学講師。 大阪国際花と緑の博覧会、愛知万博等の教育担当。 magazineland.

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